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撲滅・検討の如何を考察、問題を提起
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エレ糞の世界は、無駄に娯楽性を意識しているきらいがある。

所謂、「楽しさ」を世間に主張することで、エレ糞の素晴らしさを伝えた気になっているのであろう。

そんな小手先の振る舞いをもって世間の評価を変えられるわけがない。
まして、ヤマハ外の、モノホンの音楽家達のエレ糞に対する偏見を撤廃できるわけがない。

当該音楽家達にとっては、第一に音楽性を重要視することであろう。
小手先の娯楽性に重点を置いて世間を楽しませている気になっているエレ糞の世界を目にすれば、その短絡的思考に絶望し、偏見は益々酷くなるばかり。

この乖離を解決できない、気づけないバカの集まりがヤマハ・エレ糞の世界と言うわけである。



エレ糞は、何をトチ狂ったか、アイドルなんて概念を入れ始めた。

その気色の悪いアイドルの頂点が、茲にあげたあんどーである。
渾名は「よっくん」。もうこれからして気色悪い。

ヤマハ関係者は、揃いも揃って「よっくーん」と声をかけるのだ。
その気色悪さはもうたまったものではない。「よっくん」と呼ばせるあんどーは勿論どうかしており、たたきのめしてやりたいが、「よっくん」と呼んでいい気になっているヤマハ関係者の神経はもっと理解できない。


関係者は、「よっくん」という渾名を広めれば、エレ糞の世界に楽しい息吹が訪れ、もっとエレ糞愛好者が増え、ひいてはエレ糞の普及につながると本気で思っているのだろうか。
勘違いもはなはだしい。エレ糞が外の世界に認めてもらえないのは、貴様達のそうした独特のノリにある。見せ掛けの娯楽性でごまかさんとする姿勢に途方もない違和感を感じて益々エレ糞に偏見を抱いてしまうのである。

ファンサイトなど、まるで「肉親?」と突っ込みたくなるほどに愛情に溢れており、気色悪いことこの上ない。


このあんどーのライブの気色悪さといったらたまったものではない。思い出すだけで吐き気を催す。

いきなり「星の王子様」の振り付けを強要させるのだ。
勿論、客相手に「さあ!やれ!!」とは強要しまい。

やらせる前に、「茲はこのように手首を振ってぇ」といった具合にあれこれ丁寧に振り付けを教え、「さあ!一緒に踊りましょう」と強要するのだ。

喋り方が本当に気持ち悪い。
いわゆる「おネェ言葉」、もっと言えば「オカマ言葉」といった感じで、完全にヤマハ関係者に媚を売っているかのような口調で全く聞いていられない。


「嫌ならやらねばよいだけでは?」と(普通の神経の)読者は疑問を抱こう。
それが許されないのがヤマハの世界である。

全員があんどーの指示に遵い、「星の王子様」の振り付けを行っているのだ。

前から後ろまで全員が行っているのだ。何の疑問ももっておらず、「エレ糞の楽しさを伝えたい」という気色の悪い意志さえあるような様子であった。

ここまで全員があんどーの指示に遵うと、やらないわけにゆかない。
やらないと、周りの客には絶対に白い目線で見られ、明日から全員を敵に廻すことになりかねない。


筆者は結局どうしたか。
勿論!
始終指示には遵ってやらなかった!

しきりに「さあ、皆さん!『星の王子様』の振り付けをしましょう」としつこく迫ってくるので、筆者の脳にあるフィルターを通じ、「絶対(振り付けを)やるな!」と解釈したまでのことである。



このような勘違いのエンターテイメントがはびこる原因は、以下に起因しまいか。

エレ糞ライブは、勉強会と化すとよく言われる。
テープレコーダーを持参し、録音して勉強するための場と化していると言うのだ。
あれこれエフェクトのかけ具合やら、レジストの組み方に神経が行過ぎて、肝心の音楽を全然楽しんでくれない、と。

ヤマハ関係者、殊にあんどーファンの面々は、そうしたエレ糞ライブ独特のいわば堅苦しい雰囲気、勉強会がごとき雰囲気を撤廃している気になっているというわけだ。

「星の王子様」をあんどーの指示に遵い、一緒に(輪になって)踊りあうというのは、精一杯勉強会の雰囲気を撤廃している気になっているのだ。

ヤマハにとっては、ヤマハの脳のフィルターを通すと、あんどーのそうした言動や自分達のやっているふるまいは、気色悪いことどころか、良いことになるというわけだ。

そうした宗教的雰囲気、見せかけの娯楽性に疑問を感じ、始終拒絶反応を起こしっぱなしの筆者は「勉強気分が抜け切れていない!」と、除(の)け者扱いに、村八分(実質的には村九分;あんどーに拒絶反応を起こしている者は筆者一人なのであるから)の扱いにせられるというわけである。


一般の目から観て、関係者外の目から観てあんどーのふるまいは、「星の王子様」の振り付けを強要する姿は観ていて心地よいものであろうか。
あんどーの指示に遵って笑顔になって振り付けをやることは、勉強会を思わせる堅苦しい、無機的な雰囲気を撤廃するための糸口になりえようか。

どう考えても「外の世界との乖離を酷からしめるだけ」に果てるように思えて仕方ないし、そう考えるのが本来の在り方に思うわけであるが、自身の意見に酔いしれすぎていようか。


このような見せ掛けの娯楽は、「音楽を楽しむ」という姿勢からかけ離れては居まいか。
「星の王子様」の振り付けに夢中になり、「音楽を楽しむ」場から、「振り付けを楽しむ」場になっていなかろうかと疑問を抱くわけだ。

ヤマハ関係者は、「堅苦しさを撤廃している!」と大いに意義を感ずるのであろうが、筆者は、そうした堅苦しい雰囲気から逃避しているだけに過ぎないように思えて仕方ない。

あんどーとその取り巻きがやっていることは、単なる現実逃避と物申したい。

振り付けに夢中になり、肝心の音楽など全然楽しんでは居なかろうか。

実際、そのテーマみたいな曲はかなり安っぽく、明らかにどこかで聴いたことのあるようなもので、本職たる音楽活動を軽蔑しているように思える。


あんどーの音楽は、何だか悪い意味の没個性で、「あんどーならでは」というのが感ぜられない。
再現名人という感じで、残念ながら、外の世界ではまず通用しまい。

ヤマハ在籍時代と変わらず、「星の王子様」の振り付けを強要し、そのノリに耐え切れず観客が次々と会場を立ち去り、呆然としている姿が目に浮かんできて大失笑ものだ。


「ルックス人気」という見解があるが、これのどこに格好良さがあるのだろうか。
喋くりはオカマみたいで媚を売っているのがまるわかりの気色悪いもので聴いていられないし、一々星の王子様を強要する。顔もキャラクターも丸で魅力が感ぜられない。


なぜ、エレ糞コンサートは、ヤマハ関係者のみのコンサートとなり、テープレコーダー等を持参して勉強する場と化してしまうのか。純粋に音楽を楽しめないのか。

純粋に音楽を楽しめないつくりになっているから純粋に音楽を楽しめないのである。

エレ糞は、特に現在に於いては明らかに生楽器の再現に固執しているような雰囲気があり、再現でないと使えないみずぼらしいつくりになっている。
エレ糞には、エレ糞ならではの楽しみ方が味わえない。

エレ糞のオリジナリティは、再現することと化してはいまいか。
よく、エレ糞にはアイデンティティというものがないと批判せられるが、それは大間違い。
エレ糞には予めアイデンティティというものは確立せられている。
それは何か。

生楽器の再現である。

観客が、エフェクトのかけ方やレジストの組み合わせ等に夢中になるのは、エレ糞がそのような楽しみ方を味わわせるつくりになっているからである。

テープレコーダーを持参し、録音でもして2回、3回と聴かないと楽しめないからどれもこれもテープレコーダーを持参して録音してゆくわけである。


観客達は、ヤマハ関係者、ひいてはエレ糞ユーザーの面々である。

楽器を使いこなしている者からすれば、エレ糞のアイデンティティに夢中になるのは仕方ないことであり、否定するのはおかしい。


演劇通の者が寄り添えば、演劇全体のストーリーよりもキャストの演技や演出に固執し、
「あの人の演技は素晴らしい。見習いたい」ともなろう。玄人筋が寄り添えば、玄人にしかわからない演出や演技の素晴らしさ、からくりが見えてこよう。

NHK-BS等にて行われている黒澤映画特集の感想など、殆どストーリーそのものよりも、キャストの演技力や演出の妙に目が言ってしまっている状態ではあるまいか。
視聴者は、「堅苦しい!」「勉強会みたい!」といって拒絶反応を起こそうか。
「流石玄人の視点は違う!」という反応をするはずだ。

玄人筋が寄り添えば、そのような勉強会が如き雰囲気になるのは仕方ない。

エレ糞のライブは、そうした玄人筋の観客ばかりが集まるため、勉強会の雰囲気になるのは当然のことであり、否定するのは不適切なのである。このことをヤマハ関係者はどうもわかっていないように思える。「玄人の視点」というものを否定しているのだ。

当然の振る舞いを否定し、娯楽性を高めんとして益々外の世界の者が近づけない雰囲気になっているというのが現状ではなかろうか。


そんなに勉強会の雰囲気を取り崩したいのであれば、ヤマハはもっと外のライブ会場にてエレ糞コンサートの機会を提供し、一般の人たちが気軽に参加できるように広報にも努めるべきである。

ヤマハは、なんだかんだ言って結局ヤマハ関係者にしか知りえない雑誌にコンサート情報を掲載するにとどまっているではないか。

幾ら関係者が娯楽性を高めんとして「星の王子様」を輪になって踊ろうが勉強会の雰囲気は取り崩せない。観客がヤマハ関係者ばかりというのがそもそもおかしい。

勉強する機会を失わせては、ヤマハ関係者の音楽性は低まるばかりである。
「星の王子様」を強要すれば何の疑問ももたずに踊ってくれ、筆者のようなアンチには鋭意除け者にしてくれる取り巻きに囲まれては、あんどーも知らず知らずのうちに音楽能力の向上を怠ることであろう。そうしてエレ糞プレイヤーは益々外の世界に通用しない存在となる。


ヤマハ関係者がいい気になって行っている娯楽性の強化は、単なる現実逃避であり、自分達の音楽性を自らの手を以て貶めているに過ぎないことに、今からでも遅くはないから早急に気づくべきである。



エレ糞プレイヤーのアイドル化は、「星の王子様」の強要にとどまらない。
このあんどーのバカ、松田昌のCD「蜃気楼」(昭和63年)を初めて耳にしたのが小学生の頃だと言うのだ。筆者は愕然とした。

貴様が「蜃気楼」を初めて耳にしたのは「中学2年生」の頃だろ。

をいをい、「蜃気楼」の原曲は昭和54年だから、あんどーは小学校時代に原曲の方を聴いたのではという突っ込みは禁物。

「サイレント・ダイアローグ」の頃はあんどーは園児だ。


何とこのバカ、
年齢詐称をしていあがるのだ。
平成9年にグランプリを獲得した折は、「23歳」と言っていたはずでは??


なんちゃって芸能人気取りと言うわけか。

こんな馬鹿げた行為が突っ込まれもせずにまかりとおるエレ糞の世界にあっては、外の世界に相手にせられないのも当然である。



娯楽性を本気で高めたいと思っているならば、あんどーは、喋くりの技術をもっと磨くべきである。
このバカ、振り返ってみるに、MCの時間にて「星の王子様」の強要しかしていないではあるまいか。
それを除けば、何も話せない単細胞なのである。

トークは門外漢で、その分際で「星の王子様」は強要する有様。
「みんな『星の王子様』に憧れているわけじゃあないんだよ?!」と大いに物申したい。


こんな気色の悪いライブ、二度と御免であるし、
有無を言わない、言わしめない取り巻きのもと、「永久に『星の王子様』の振り付けをしていい気になっておけば??」といったところか。

これがトッププレイヤーの位置に君臨するとは、まったく世も末、エレ糞も末だ。
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