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撲滅・検討の如何を考察、問題を提起
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ネット上では、顔が見えず、あまたの場所からの閲覧であり、皆が見ているわけであり、発言には逐一気を遣わねばと言われる。

ネット上のみならず、苦慮するのはバカの思考に対する処理如何である。


実に腹立たしく思う一件があり、未だに疑問に思えてならない憎らしき一件を取り上げ、検証・批難したく思う。


発端は、あるバカ小母Cの発言から始まる。
このCの子息Dが、音楽コンクールの予選を見事通過したらしく、喜びに暮れるC、更なる精進を目指さんと、Dを鍛え上げる意欲に燃えているという。店別大会を通過せしめ、地区、県と進ませるつもりなのであろう。
調子にのったか、このC、「鬼ママと呼んで下さい」とのたまう始末。

そこで、筆者は、「それじゃあスパルタマザーで(如何でしょう)!」といった旨の突っ込みの書き込みをしてやった。純粋にのり突っ込みである。

ところが、この発言が何故か重苦しい空気にしたらしく、このC、何故か
「別にスパルタではありません」と逆ギレする有様。

「『鬼ママ』と呼んで下さい」という意気込みはどうしたのやら。何故「鬼ママ」はよくて、「スパルタマザー」はいけないのだ。似たようなものだろ。
初めからそのようなのり突込みが不快に思うならば、軽々しく「鬼ママと呼んで下さい」などとのたまうなバカ母というのだ。
そんなことだから子供一人ろくに育てられないのだよこの穢多痴枯


周りはどうしたか?どういうわけか筆者はすっかり悪者扱いせられる有様。
「鬼ママと呼べ」というからその誠意に応えたというのに、何故者扱いせねばならないのだ。
そのことをCに物申してやると、C曰く、

「だって『Cさん悪口を言っている』とメールが来るんだよ?そういうわたしも悲しい」と。


「掲示板は皆がみるんだよ?」だとな。
だからどうしたというのだ。わからないバカはわからなくてよい、泣かないホトトギスは死あるのみというのが、筆者の信条である。


筆者は、「スパルタマザー」というのり突っ込みを「悪口」と解するその神経に途方もない怒りを感ずる。何という表面的解釈、いな、表面的解釈どころか、曲解もはなはだしい。
Cは「鬼ママと呼べ」と列記とした根多フリをしており、筆者はそれに答えただけ。

正直なところ、筆者は「悪口」と解釈するその頭脳が理解できない。


本来、
Cは悪口と解釈したバカに対して怒りの矛先を向けねばならないはずなのに、何故か「悪口」と解釈したバカの味方になって筆者を誹謗する有様。

あのさあ、初めから「スパルタ」なんていわれるのが不快に思うのならば、「鬼ママ」なんて呼ばせようなんてさせないでくれる?
バカもさることながら、このCも凄く無責任極まりない。この程度の冗談が「悪口」としか捕らえられない浅はかなる頭脳の持ち主に、軽々しくブラックユーモアなど用いるべきでない。そのあたりも、筆者はCに対して尋常でない怒りを覚える。



このお陰ですっかり筆者は悪人扱いせられ、とんでもなく悪印象をもたれたようである。
勿論、筆者はこれに媚びてたまるかと思い、結局かくして遅ればせながら、あの時の怒りの心情を綴っている有様である。


何故、Cは、バカの見解を支持したか。
答えは簡単、人脈第一だからである。

このような表面的見解すらできないバカが多数を占めていたらしい。その多数の人脈に入ることがCには幸せなことと考えたのであろう。ふざけるのも大概にしろというのだ。

Cは、ネット上にてあまたの友人を集めんと努力し、日常生活に於いても主婦仲間に囲まれているのだという。

それがどうしたというのだ。


なるほど人脈を拡げれば拡げたなりに外の世界、知られざる世界を堪能できる楽しみはあろう。

このCを見ると、明らかに不自然な見解なのに多数だからと人脈を気にして筆者の正当なる見解を否定しているような感じで、人脈の多さを満足しているようにとても思えなかったし、兎に角人脈が広ければそれでよしという浅はかさが滲み渡っており、楽しみどころか、その綱渡り的人間関係に吐き気を催してしまった。
そんなにまでして人脈を拡げ、友人を多く擁して満足で居られるのか。勿論広い人脈に快感を覚えるから人脈の拡大に固執しているのであろう。
それならばそれでよいのだが、筆者にその楽しみを押し付けないでいただきたい。


筆者は、たとえ人脈こそ狭かれ、自身の信念・信条を厚く、頑なに貫き通す者に強い憧れを覚え、強い信頼の心を抱く。

殊に、明らかに多数派のバカの見解、「スパルタマザー」発言を悪口と捉える見解を正さねばならないのに、そのような行動をとると、自身の人脈が狭まってしまうからとして筆者の正しい見解を悪と捉え、多数派に迎合してしまう姿勢、余りにカッコウ悪すぎで開いた口が塞がらない。

人脈に、友達関係に余裕があれば、多数派の間違いに迎合する必要はないし、迎合しないでフォローできるはずなのだが。

間違いを間違いと正面切って物申せず、是非が問えないままにだらだらとひたすらに都合良く肯定意見を言い合うだけの表面的関係のどこに、意義ある人脈と言える要素があろうか。


こんなバカなCが音楽教室を開き、高い月謝を取ってのんびり暮らしているというのだから、日本人の音楽教育が低く見られて当然である。


そのCは、「掲示板は、みんながみているから」ということで、如何なる節度ある態度を示しているというのだろうか。


ある日、家の修理工が訪ねて来て、その修理工が木村拓哉に似ていたらしく、浮気を考えたらしい。主人を捨てて、その修理工と再婚したいといった旨の書き込みをする始末。

これって物凄く主人に対して不愉快至極に思えるのだが、そのような解釈をしたのは筆者だけなのであろうか??


Cよ、おのれは自分の趣味の為に主人にどれだけ迷惑をかけているのか自覚しているのか。
おのれのくっだらない教室の為に、維持費はバカにならない状態のはず。ピアノの他に、エレ糞なんてものも無理して教えるとなると、楽譜の購入やら他の雑用等で、どれだけ費用がかさんでいることやら。そのようなわがままを許してくれている懐広き主人のはずなのに、「木村拓哉に似ているから」という理由だけで、主人を乗り換えんとするその姿勢。これが、悪口として捉えられず、平然とまかり通っているCの友人関係。

筆者は、これこそ不適切発言に思えてならない。何故これが不愉快に捉えられないのか。
この発言をしたCこそ、糾弾せられてしかるべきである。


木村拓哉に似ていれば、後は何をせずともよいのか。
今やっている教室だなんて、二度と続けさせてもらえない可能性がある。

何より、子供達はどうするのだ。木村拓哉に似ているからというだけで父親を変えられてはたまったものではないだろう。なんと不謹慎なる母親であろうか。子供に対する配慮がまるで欠けている。

筆者がこのCの子供の立場ならば、一瞬で非行に走ることであろう。
保険金殺人をたくらみ、Cを殺害後、八木茂死刑囚と江頭2:50と共に、埼玉県にあるスナック横浜にて明るく飲み会を開いていたことであろう。

どうりで子供がきちんと育てられなかった前科ができちまうわけだな(禿藁


筆者は、この顔を基準で男の良し悪しを決めるというベタベタな姿勢が実に不愉快に感じて仕方ない。実の所、2枚目と呼ばれる男性陣は、その特性に甘え、中身が欠如しているのが実のところではなかろうか。
この浅はかなる笑わせ方、非常に低次元に思えるし、筆者の普通の突っ込みを悪口としか捉えられない分際でブラックユーモアを吐くなというのである。


露骨な態度を見せたこともある。
このC、「好きな(エレ糞)プレイヤー」ということで、「窪田宏、富岡ヤスヤ、塚山エリコ」を指折りのお気に入りとして挙げていあがった。
「松田昌は?」というと、ポップスの頃(恐らく昭和50年代のことであろう)は好きだったが、今は癒し系に走っているから好きではないとのことであった。

ところがどっこいである、この松田昌が名古屋地区にてレッスンを開くことになった。
その途端にCは「好きなプレイヤー」に「松田昌」を書き加え、掲示板に「レッスンを受けたい」と神妙な面持ちで書き込みをするフリをする有様。

この姿勢、筆者の「スパルタマザー」よりもよほど問題行動に思える。Cよ、お前「塚山エリコ」の上に松田昌の名前を書いてたろ。その分際で「エリコ先生~~」などと媚売ってんじゃねえよヴォケが(糞



何年か経ち、何故かCのHPは閉鎖せられていた。
荒らしが来たから?

否。「良くない掲示板に貼り付けられたから」それだけ。


あのぉ~~~~、
HPってみんなに見られるものなんすけど??


たとえ、そのCののたまうところの「良くない掲示板」に貼り付けられていなくとも、当該掲示板利用者が貴様のHPを閲覧している可能性は充分にある。

何やら、Cの住所と思しき書き込みが、当該掲示板に行われたとかで、子供が誘拐せられるのではという恐怖感にさいなまれたのだという。


それじゃあどうしてそんなに大事な子供の写真をHPに掲載していたんでしょうかねぇ~~(嘲笑


全く貴様は講師失格、母親失格、家内失格、頭脳失格、勿論お笑い失格、ひいては人間失格。
ったく救いようがないね。



もうはっきり言ってしまうが、ヤマハ音楽教室の講師陣って、月謝を何と心得ているのだろうか。
実力はどうあれ、金をとっている以上、立派なプロである。

プロ気取りであれこれHPに公開していたはず。「掲示板は皆が見ているから」と豪そうにのたまっておきながら、己は「良くない掲示板に貼られたから」と、あっさり閉鎖する有様。


結局、「皆が見ている」という認識がなかったのである。
兎に角、都合のよいイエスマンがよってくれればそれで満足という、実に浅はかなホームラン級のバカだったのである。
そんな分際で、月謝10千円を平気でもぎとるヤマハ音楽教室の講師たち、
まったく開いた口が塞がらない。


話を初めの「スパルタ」発言云々に戻したい。


ブラックユーモア(ここでは「『鬼ママ』と呼んで下さい」発言)をフリで用いるならば、その返しにも敏感であるべきであり、的外れの見解に動じない姿勢を以て使用すべきである。

筆者の「スパルタ」発言には、単なる返しのほか、ブラックユーモアに対する返しに対して敏感であるべきよう、余裕ある環境を願っての意味合いが込められている。筆者ならばまだしも、いつかもっと心無き返しがやってくる可能性も十二分にある。掲示板はあまたの者が全世界からみているわけである。如何なる返しにも敏感であるべきであり、いつかどうしようもなく険悪なる状況に陥ったときに、どこまでユーモアを以て対応できるか、いや、そのような状況下に対しても笑いの心を損なうことなくユーモアを以て心無き突っ込みに対処していただきたい、そのような切実なる願い、計算が込められているわけである。


「スパルタマザー発言」を「悪口」と解釈したバカ講師達よ、どうせヤマハ講師陣だろう、そのような的外れな解釈をしていい気になっているヤマハ講師陣よ、筆者は、一つの書き込みをする際には、これだけの計算や思いを込めている。貴様らよりもよほどはるかに勉強しているだろう。

最近、ヤマハ講師陣は、一般教養の習得を義務付けられているようであるが、その前に、楽典の知識をもっと習得せしめるべきである。
ヤマハ講師陣って、プロ意識がないのかどうかわからないが、どうして音楽記号とか覚えていないのであろうか。
例:メゾスタッカート:「上にテヌートがついているから」と何とテヌートと解釈させた。
   知識なくても類推で意味が把握できるのに、それができないバカ講師。
  riten.:なんとこれを「ラテンロック」と解釈する始末。
string.:これにいたっては「ストリングス」と解釈してさあ大変。以下略。

これで指導・演奏・ピアノグレード4級?ふざけるなと物申したい。


こんな馬鹿げた人脈など、こちらからお断りであり、迷うなく、我が代表、堂々退場す。
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