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撲滅・検討の如何を考察、問題を提起
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エレ糞には名曲も幾ばくかは存在する。
中には数多の者にアレンジを施され、親しまれているものも存在する。
その一つが、これから採り上げる「海溝」。

昭和55年発表作品。塩谷哲師が、どこぞの中学校に在学中に作曲せられ、発表せられたもので、合歓(ネム)の郷にて、JOCと略される、ジュニアオリジナルコンサートにてあまりに有名な1曲である。


その後、どこぞの世界にて多用なる形にてアレンジ、改変が為され、吹奏楽の世界においても幅広く知られている。吹奏楽バージョンに関しては、久石譲師が、昭和56年に吹奏楽アレンジを発表、以後はこのアレンジが「海溝」として吹奏楽の世界に幅広く知れ渡ることになった。



「海溝」は、元はエレ糞のための曲であり、GX-1のためのアレンジが元である。

本場の世界においては、短調のテーマが広く知れ渡っている。

有名なるアレンジとしては、
三原善隆アレンジ(昭和57年発表、出典は「5セレクションズ」)、
矢口理津子アレンジ(平成4年発表、出典は「サウンドイン6ファンタスティックサウンド」)、
柏木玲子アレンジ(平成13年発表、出典は「パーソナルシリーズ 柏木玲子)。

他に、雑誌にてアンサンブルアレンジがあったり、初級者用に久石バージョンのアレンジをさらに簡単にした譜面が出回っている。


「海溝」を知る者には、しばしばかかる発言をする。曰く、
「長調の部分が抜けている」と。

実は、大層ロングランな構成の曲らしく、譜面は短調の部分のみを取り上げているにすぎないという。


平成13年、柏木師が「海溝」のアレンジを出されるということで大層なる話題になった。
原曲のサイズが期待できる、原曲に近いアレンジが期待できると騒がれたものであった。


実際にふたを開けてみると、長調らしきフレーズが見つからない。
結局長調の部分はカットせられた、従来どおりのサイズのアレンジということであった。

これまで聴いたことのないイントロのフレーズがあるのが大いなる特色であったといえようか。
そのイントロは、塩谷師本人のアレンジを引用しているとのことであった。
実際に演奏してみるに、どうも退屈で仕方なかった。
どうにも泥臭く、心地よさが生まれない。付け足しの感が強すぎるように思えた。

師は、「g mollと思わせておいてcis mollのテーマに入る、意外性に溢れた巧みなる手法」と自慢していたが、筆者にはその意義たるものがさっぱり理解できなかった。


柏木師によると、本当はcis mollであり、一般に知られているもの(c moll)よりも半音高い構成だという。黒鍵だらけで、とにかく弾きにくいという。


偶然にも、なにがしレコード店の閉店セールにて、LP「昭和55年度JOC作品集」が手に入り、「海溝」の原曲を聴く機会に恵まれた。

本人のコメントは、
「海溝の深いイメージを曲にしました」
それだけ。それだけかよ!


いざ蓋を開けてみるに、本当にcis mollで、ものすごく暗い曲想である。
イントロは、gis moll。gis Aeolianというべきか。
クールで悲しみに満ちていて、思わず心惹かれてしまいそうなフレーズである。

例の、gisと思わせておいてcis mollのテーマに入ってゆくところなど、本当に意外性溢れる展開で、その神秘性に虜にならずには居られなかった。

Gis音を伸ばしておき、静かにcis mollのテーマを発信させる。
このGisの線は非常に重要。なんという流麗なる線であろうか。

テーマに入るところ、リズムがなく、静寂に溢れており、非常に暗く、物悲しい雰囲気である。誰かの魂を弔っているかのような敬虔なる空気さえ感じ取れる。


何とも不思議に思ったのが、本家のイントロは、ものすごく神秘的で、イントロからテーマに入る間や、その意外性あるコード進行に思わず心がときめき、あっという間の出来事だったのに対し、柏木師のアレンジしたものは、同じ譜面のはずなのに、ものすごく冗長で、ものすごく眠く感じ、苦行の時間でしかなかったことである。イントロからテーマに入る間など、強引至極で、つながりのかけらなど微塵も感ぜられない。同じ譜面なのに、だ。主たる相違点は、半音高いか、ただそれだけである。

わずかそれだけの違いが、これだけの味わいの相違を生んでしまうというのか。これだけ聴き心地というものに影響を及ぼすというのか。
調というのは、それだけ重要なる役割を占めているというのか。

特にイントロは、gとgisとであまりに印象が違いすぎる。このイントロは、gisのために生まれたものなのであろう。にしても、これだけ印象が変わるのはにわかに信ぜられない。



実のところ、柏木師のアレンジには物申したい点が幾つかある。
わざわざ半音下げていることはさておき、イントロからテーマに入らんとするところである。


本家は、「G#sus4ーG#mーC#m(以下テーマが展開せられる)」のところ、
師のは、「Gsus4ーCm」になっている。
文字にて表しただけでは、G#mに相当するコードが抜け落ちているだけに思えるが、この差は相当に大きいように思う。Gsus4で終わるため、落ちたのか落ちていないのかよくわからないし、誤魔化しの空気も感ぜられ、妙なぎごちなさが漂うことになる。その状態で、「意外性溢れる展開」と強調せられても、こちらは疑問符が頭に浮かぶのみで何の感動や驚愕の念も生まれない。
sus4で終わらせるコード進行は、馬鹿か無芸なアレンジャーが格好をつけるためによく用いるやり方であり、名曲たる海溝にはふさわしくなかろう。

間も悪い。師のアレンジは、無理してリズムを入れるため、イントロからテーマに入るのに丸1小節空けているのだ。リズムを入れる以降の展開は、FD AUTOにて演奏できるように配慮した結果のことであるが、この間は感心しがたい。「海溝」を演奏するに当たり、あまりに不適切な1小節である。筆者に言わせると、ここからリズムを入れるという魂胆が気に喰わない。

本家は、イントロの終わった後、ほぼ直行の形でテーマに入っていた。
落ちたと思しき展開から、新たなるcis mollのテーマが流れ込んでくるわけである。その意外性に感動するとともに、gis Aeolianスケールからは、cis mollのドミナントがごとき働きが透けて見え、流麗なる流れにまた違った感動を覚えることになる。


本家のこの部分、本当に黒鍵だらけで、手も思い切り伸ばさねばならない、難関至極な箇所であるが、妥協は禁物である。ここは原曲の調で行かないことには、何の感動も生まれない。


サビのところ、E durが透けて見える、やや明るい色彩の展開となる。リズムはこのあたりから入る。
本家は、Piu Mossoを見せていた。ロングランの展開のため、原曲どおりのサイズの場合は、Piu Mossoすべきなのやもしれない。
暫くしてテーマに戻る。戻るところ、ドミナントの代理コードを用いているのが心地よい。

そのテーマの部分が終わり、3拍子になる。奇妙なコード進行を見せ、D durとなる。
このD durというのが、失われた長調の部分である。快活なるテンポの3拍子で、可愛らしいメロディ。海にて遊ぶ魚たちが目に浮かぶ。そこには、母親とすごした楽しき毎日が透けて見えると評する者も居る。
3拍子の部分、ドミナントコードのあとにフラットの6度のコードをぶち込むという進行にはただただ驚愕するのみ。尋常でない努力の姿勢が感じ取れる。

3拍子の部分にもいろいろあり、大まかにはD durとF durの部分があることになる。Fの部分は、テーマ→アド・リブという展開がある。アド・リブは、明らかにGXならではの音色であろう。他の楽器では出ないように思われる。海洋にて遊ぶ海水生物たちの生き生きとした姿が目に浮かぶ。

ブリッジの部分は、C durになったりEs durになったり、一言では表せない展開をみせる。ドミナントペダルが良き緊張感を生み出している。

そうこうしているうちに、c mollを思わせる展開となり、ドミナントコードがやってきて、有名な短調のメロディに舞い戻ることになる。

茲でまた不思議で意外性ある発見をすることになる。
短調のテーマに戻るとき、単純に「D.S.」と言いたい所であるが、これは間違い。
なんと、c mollになっているのだ。
c mollにて短調のメロディ、初めはcis mollにて奏でていたメロディを、c mollにて奏でるのだ。

これにはやられた。普通は、素直に「D.S.」するであろうところを、本家は敢えての形を以てか、c mollにて奏でる。これにより、どこか落ち着きある雰囲気をかもし出すことになる。

母親の魂を、楽しい思い出の日々を海底に鎮める決心がついたかのような落ち着きが感ぜられるのだ。


c mollにて演奏となると、「原曲は世間に知られている調より半音高い」という見解は虚偽ということになる。大枠はこの見解で十分なのであるが、言葉足らずではある。


市販のアレンジを半音上に上げて演奏しても一緒。海溝は、それでことが済む様な拙作ではない。
現に、広く知られているc mollのメロディが原曲の中に組み込まれているのだ。

サビはEs dur。市販のアレンジをそのまま半音上に転調させると、このあたりにおいて不具合が発生する。無駄に明るくなり、海溝の有する悲しみが打ち消されてしまう。

Codaは、同主調へ転調となる。
イントロのフレーズをes mollへ転調させた形となっている。


柏木師のアレンジの不満は、このCodaの処理。
原曲とはまったく異なっており、その書き換えがとにかく下手糞。如何にも無理してくっつけたのが丸わかりで、ここで筆者は強靭なる睡魔に襲われることになる。

原曲のCodaをそのまま引用するのはどうも腑に落ちないとの判断があったのだろうが、このCodaの処理はひどい。

やはり原曲のCodaが一番であり、このCodaを生かしたいとなると、原曲サイズにて演奏する必要が出てくる。



ヤマハ関係者は、この本家のアレンジを、「JOC臭が漂う」として忌み嫌い、馬鹿にしている心意気すら感じ取れる。とんでもなく忌忌しき事態であり、筆者に言わせれば、本家のアレンジが一番。
文句なしの満点。ここで言う満点とは、「作曲の意図が完全に感じ取れる」という意味合いに受け取っていただきたい。

この海溝のメロディは、塩谷師本人の意図したアレンジにより生きてくるものであり、その他の構成にした場合、あちらこちらで不具合が発生し、大事には至らずとも、塩谷師の意図はまったく生きてこない。


ヤマハ関係者の馬鹿にした見解を重んじてか、あまりにも弾きづらい構成を改善せんとする思いやりの表れからかどうかは知らないが、この「海溝」の発表から2年後に登場したのが、三原善隆アレンジである。茲では、イントロとエンディングのフレーズはまったく単調なるものに書き換えられ、テーマはいわゆる半音下げられた格好になり、単純なる「テーマ→アド・リブ→テーマ」といった構成のジャズロック調のアレンジとなってしまった。

原曲は黒鍵だらけで非常に弾きづらい。半音下げると、白鍵だらけで弾きやすいものとなる。ヤマハ関係者には弾き易く、親しみやすいものに映って当然か。「JOC臭い」と馬鹿にする土壌では、ますます三原アレンジの評価は高まろう。かくして、三原アレンジが「海溝」として広く知れ渡ることになってしまった。このアレンジの発表は57年、翌年にはグレードの課題曲としてJOC曲が課せられることになった。「海溝」は、三原アレンジが知れ渡っているからといことで、原曲は課題曲からはずされてしまったのである。何と忌忌しき展開であろうか。


実のところ、三原アレンジは、「海溝」の名を用いるべきではない。これはアレンジではなく、「変奏曲」である。「モチーフ即興」というべきか。

三原は、原曲におけるc mollのフレーズをテーマとして用い、サビはEs durのメロディを用いる。アド・リブはそのコード進行をスケールとしたものである。ここは、グレード試験の即興演奏にていうところの2コーラス目の位置に相当しよう。
c moll→Es durのメロディを用いた変奏曲であり、本来の意味における「海溝」ではない。海溝はこのメロディがすべてではない。上記にて示したとおり、三原が操っているc mollの部分はほんの一部分に過ぎない。これが「海溝」として知れ渡るとはなんとも嘆かわしい。

親しみやすいといわれるが、筆者は非常に親しみにくい。同じ展開が続くため、意外性など生まれないし、どこか無理を感じてしまう。原曲を知らない者にとってはこれで満足できようが、原曲を知ってしまうとどうも要領の良さ、ずる賢さばかり感じ取れてしまう。
この曲は、テーマ→アドリブ→テーマという、いわゆるジャズ・ロックの展開にはふさわしくない。もしもその形がふさわしいならば、塩谷師は初めからジャズロック調のアレンジにしていたはずである。どうしてあのような弾きづらく、大河調の展開にしたのか。それが一番ふさわしい曲想だからそうしたのである。もっと曲の根底に流れる意図たるものを察知すべきである。


曲は、個人の思いのままに操るのが最も素晴らしい。「ああせよ、こうせよ」とは一切言わない、というのがヤマハ音楽教育ではなかったのか。


三原アレンジの不満は、テーマに入る前のドミナントコードの処理。
G7ミクソリディアンスケールと、同Hpm5↓を2拍ずつ配置している。G7の次にくるのはCmだ。ミクソリディアンスケールを置く必要がどこにある。素直にHpm5↓1つで事足りよう。
おそらく、「ミ(ナチュラル)ーミ(♭)ー/レ」というカウンターラインを聞かせたくてそのような無理ある配置にしたのであろう。なんだか、アレンジ初心者がテンションというものに固執しすぎてやらかす失敗状態ではあるまいか。


柏木師のアレンジも、長調になる部分は剥ぎ取られ、単調なるアド・リブパートになっている。原曲どおりの譜面に一部なっているため、冗長な感じのする三原アレンジという印象になってしまっている。
どれもこれも半端で、あまり普及していない。



矢口理津子アレンジは、無難ではあるものの、EDの処理はやはり腑に落ちない。どこか違和感を感じてしまう。



全体的傾向を見ると、アレンジは三原で、音色は矢口で、といった具合である。
筆者は、原曲にかなうアレンジはないと思えて仕方ない。

点数を付すとなると、上記に挙げた有名なアレンジについては、上から0.5点、3点、0点である。


柏木師のアレンジには尋常でないくらい辛口評価になっている。
厳密には、これは柏木アレンジではない。リズム・プログラミングには日下奨太郎が加わっており、音色もどうも日下臭く、本来ならば日下奨太郎アレンジとすべきである。


柏木師の意向はほとんど通っていないのではなかろうか。柏木師にとって、調というのは絶対の存在であったはずだ。
筆者のような参加賞どまりの平民ですら、「海溝」の調の重要性をいたく痛感するし、半音下げて演奏し、長調その他をみすみす抜き取られた半端なアレンジに怒りを覚える。柏木師ならばどれだけ不満がたまっていたことかと思うと、なんだかいてもたってもいられない思いに駆られる。

柏木師はグレード1級。1級というのは認定級で、ヤマハが認めた者に送られる、異端の地位にある級で、試験を受けて取得できるものではない。ヤマハが貢献度他を判断することで与えられる。ヤマハが認めた者の意向を通さないでどうする。



本家のサイズにて演奏せんとなると、7分強、場合によっては8分20秒は覚悟せねばならない。コンクール出場は絶望的となるのであろうが、今は、フリーのサークルがはびこっており、コンクール以外にて発表する機会はあまたにあるはず。そこで存分に「海溝」の有する神秘性を発揮すればよい。




久石譲のアレンジを忘れてはなるまい。
こちらは1点。
なんといっても、イントロをg mollにしているのが最大に気に入らない点。

長調の部分を再現してくれているのはありがたいものの、Des durにて統一しては居なかったか。
なんだか、塩谷師の変化に富んだ転調を統一してしまっているのだ。

「子供っぽい」「JOC臭い」と考えたのだろうか。
とんでもない、その変化に富んだ転調こそが「海溝」の命である。

その命がほとんど剥ぎ取られ、実に平凡なる展開になってしまっている。

どうして原曲の根底に流れる悲しみたるものを理解せんとしないのか。
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コメント
珍しい音源
こんにちは。YouTubeで大変レアな海溝の音源が公開されています。
http://www.youtube.com/watch?v=5nv_2wlQCjA
恐らく「海溝」発表後間もなくの音楽教室発表会での演奏かと思われます。当時の使用楽器や、お蔵入りの中間箇所など、大変貴重な音源といえます。
【2010/03/21 09:32】 NAME[Suisho] WEBLINK[URL] EDIT[]


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