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  <title>闇の撲滅白書</title>
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  <description>撲滅・検討の如何を考察、問題を提起</description>
  <lastBuildDate>Wed, 01 Apr 2009 08:56:35 GMT</lastBuildDate>
  <language>ja</language>
  <copyright>© Ninja Tools Inc.</copyright>
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    <title>書物：夢を追いかけて「目指せ日本のベートーベン」</title>
    <description>
    <![CDATA[<a target="_blank" href="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/File/yumewooikakete.jpg"><img alt="yumewooikakete.jpg" align="left" border="0" src="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/Img/1238576136/" /></a>平成9年、YMMから出版せられた随筆である。<br />
<br />
批評については、「電子風琴」のカテゴリーにて散々しており、わざわざ茲で紹介するまでもないが、一応こちらにて「夢を追いかけて」自身の紹介をしておく。<br />
<br />
<br />
けだし、これは「そっくりショー」であり、「ままごと」なのではなかろうか。<br />
<br />
一流を気取り、なるほどエレ糞界ではトップであることに疑いはないのだが、スター感覚にて人生観や生い立ちを書き上げた、「ままごと」と捉えるべきであろう。<br />
<br />
<br />
ヤマハが出版しており、なんだかんだいって結局ヤマハ関係者にしか購入してもらえず、ヤマハ関係者にしか知れ渡らない。著者は、それを察知の上、好き勝手なことが書ける。通用するのはヤマハ内部だけ。きわめて狭い世界。<br />
<br />
<br />
本自体の不満を挙げておくと、まず、<br />
「第3項　つれづれなるままに」<br />
<br />
所謂非鉄に鉄道ファンを気取られるのは非常にむずがゆく、気分が悪いことである。<br />
<br />
国鉄時代は態度の悪い職員であったが、JRになってからは、態度が良くなっただの、そんなこと今更言われてもこちらはどうすればよいのであろうか。<br />
そんな過去のことを持ち出されても困るし、中途半端に鉄道の知識を披露する感じがして非常に気持ちが悪い。<br />
<br />
<br />
「鉄道を語るのは鉄道ファンに限る」というのは、余りに偏狭じみた考えではあろう。が、少なくとも筆者はこの「つれづれなるままに」のような鉄道知識の披露には途方も無い違和感・ぎごちなさ、むずがゆさ、不快感を感じてしまう。<br />
<br />
同じ鉄道を語られるにしても、向谷実師ならば素直に受け入れられ、「エレクトーン界出身の鉄道ファン」ということで益々愛着が沸くというのに、不思議なものだ。<br />
<br />
<br />
「座るならば窓側か？通路側か？」<br />
そんなものどちらでも良いではあるまいか。一々紙面を捌いて書き連ねることではあるまい。<br />
<br />
<br />
<br />
「JRの音楽について」というコンテンツがある。<br />
幾つか違和感の感ずる音があるというのだが、残念ながら筆者はこちらに掲載せられている間違いや不手際の感ぜられる音楽には出会ったことが無い。どれもこれも、JR東日本の発車メロディはよくできていて洒落が効いているように思う。JR東日本ほど発車メロディというものに力を注いでいるところを筆者は知らない。<br />
<br />
バカさんは、JR山手線「渋谷駅」の発車メロディに苦言を呈せられているが、「鉄道マニア倶楽部＃３」（平成18年放送、MONDO２１）では少しもそのような話題は出ず、「発車メロディは素晴らしい」という結論に達していた。向谷師は、現場の発車メロディの作成を担当していることもあり、余り他人の作成した発車メロディに対してあれこれ物申したくない心境なのやもしれない。<br />
<br />
<br />
そんなに発車メロディに不満があるならば、己が発車メロディを作成せよというのだ。<br />
「音楽公害」だとして、裁判に訴える気のようだ。<br />
<br />
そんなことするよりも、JR東日本に不手際なる点を述べ、自らが発車メロディの手直しをするのが筋ではあるまいか。貴様はそれほどまでに世間に音楽家として認知せられていないというのか。<br />
<br />
<br />
最後に、かく続ける。曰く、<br />
「最近（平成8年）、阪急電車の梅田駅も発車音楽を始めた。～　変なとこで東京の真似するなよぉ！」と。<br />
<br />
返答しておいてやろうか。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">一切不手際はありません！</span><br />
<br />
</font>それよりも、筆者はおのれのCDアルバム「蜃気楼、道、オーロラに乗って」のアレンジ・録音・音色等について強い不手際を感じ、強い抵抗を覚える。<br />
<br />
こんな駄作を「作曲家の一面を」と偉そうな面をさげてヤマハ関係者のみに発売させる方がよほど音楽公害だと思う。<br />
<br />
<br />
<br />
もう一つ気に入らないのは、<br />
<font size="4"><span style="font-size: large">大阪の味方をしているところ。</span><br />
</font>何様のつもりなのだろうか。さきほどの阪急電車云々にしても、「我が大阪の阪急電車」などと記している。如何にも大阪で生まれ育ったかのような振る舞いだ。<br />
大阪の庶民性を主張するためか、あるコンテンツのみ関西弁にて記している。筆者の最も忌み嫌う表現方法だ。<br />
「ワテ」「～でんなぁ」を多用して大阪の味方を気取っているのだが、まず、こんな喋り方をする大阪人は一人も居ない。<br />
<br />
大体よぉ、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large"><span style="color: #ff0033"><b>貴様兵庫県民だろがこの野郎！！</b></span></span><br />
</font>大阪と兵庫県はまったくとはいえなくとも、基本的に別物だと捉えられている。<br />
本場の大阪人からしたらバカさんの姿勢は袋たたきの第一の対象となろう。<br />
<br />
<br />
住居？？基本的に活動拠点は東京だったはず。<br />
今では名古屋に変わっているし、大阪の味方をせられる筋合いなどどこにもない。「我が大阪」とは是如何。<br />
<br />
大阪の笑いについて、「なんかおもろいことやろうや」という性格が顕著に現れているというのだが、それは残念ながらむしろ東京の方が強い。<br />
大阪は、ある一定の笑いに固執しすぎている傾向がある。感覚が狭すぎるのだ。実力ある大阪の芸人が東京に旅立ってしまうのも、東京の方が「なんかおもろいことやろうや」という姿勢があるからであろう。たとえば、明石家さんまが上京したのは、絶対に藤本義一と共演したくないという意思があったからである。<br />
<br />
バカさんは、「東京の笑いは林家三平に代表せられるように、無理に客の笑いをとろうとする面がある」とし、「観ていて恥ずかしくなってくる」と東京の笑いを非難三昧。<br />
<br />
林家三平は、たしかに筆者の嫌いなタイプの笑いではあるが、あれは東京でも異端の存在であり、これを東京の笑いの基本とするバカさんの見解は余りに不適切で、強引にもほどがある。三平は全国区であり、全国的に色物の異端だった。代表にするのは笑いを語るにあたって余りに不適切。<br />
<br />
東京の笑いは、どちらかというと立川談志に代表せられるように、他人に対して攻撃的なのではなかろうか。「歌丸&rarr;ハゲ、小円遊&rarr;変な顔」という根多もあったか。<br />
<br />
<br />
対して大阪の笑いは自分を卑下する笑いが主流といったところか。<br />
この分け方は余り正確ではないが、少なくともバカさんの見解よりは優れていよう。<br />
<br />
<br />
好きな芸人として、<font size="5"><span style="font-size: x-large">鶴瓶！</span><br />
</font>「鶴瓶」ってのが好みの芸人だという。面白いのだそうだ。<br />
<br />
<br />
<br />
何だか、ものすごく不適切な表現ではなかろうか。<br />
<br />
「鶴瓶」って言われてもすぐには思いつかないのではなかろうか。<br />
ここは、正確に「笑福亭鶴瓶師」と記述すべきである。それが執筆者として当然の在り方であろう。<br />
<br />
好きな番組は「パペポTV」（読売テレビ）。<br />
<br />
「どうして東京でやらないのかわからない」と疑問を呈するのであるが、この頃は全国ネット化していたはずだ。バカさんは東京在住が主流のはずであり、とうして関西ローカルをこれほどまでに熱く語れるのか、そちらに疑問と怒りを覚える。<br />
<br />
<br />
バカさんは、「ボクはテレビタレントの殆どを知らない」としている。テレビは殆ど見ない生活なのだそうだ。それが「笑っていいとも」や「パペポ」を是ほどまでに語れるのはどうかしているし、芸人像について何がわかるのかと物申したい。<br />
<br />
<br />
バカさんの配慮の欠缺はここでも垣間見られる。<br />
<br />
その「鶴瓶」って名の芸人が、新大阪駅のエスカレータにて自分の１ｍ前に居たという。<br />
「鶴瓶さん！ぼく、大ファンです。握手してください！」と言いたかったが、50を前にした男（当時）がそんなこと言えるわけが無いことと、「パペポ」の根多にせられてしまうことが嫌で言わずじまいだったという。<br />
<br />
<br />
これって謙遜のつもり？？　おかしくないかい？？<br />
バカさんは、トップ・エレクトーンプレイヤー。EL90のCMに出演していたし、知名度は他のプレイヤーよりも上。松田昌の名をいえば凡そは理解してもらえる。テレビ番組のBGMにも用いられている。その「鶴瓶」って名の芸人にもそのあたりの事情は話せば理解してもらえるやもしれない。<br />
「パペポ」の根多にせられ、笑われておしまいというのだが、本当にそうだとしたら、エレクトーンプレイヤーと言うのはその程度の知名度しかないわけで、ヤマハにしか知られていない矮小なる存在であることを露呈しては居まいか。<br />
「エレクトーンプレイヤーの松田昌です！」と、その「鶴瓶」ってのに言えば理解してもらえるはずであり、「パペポ」の根多にせられて笑われるなんてことはなかろう。<br />
なぜ笑いの根多にせねばならない。ここでの笑いは「失笑」の意味だろ。<br />
「鶴瓶」っての・・・・・いい加減、きちんと呼称しようか、鶴瓶師はエレクトーンというものにそれほどまでに負の偏見を抱かれていようか。<br />
本当だとしたら大問題であり、「エレクトーンと言うのはその程度の認知度しかありません」「エレクトーンの理解はまだまだ低く、芸能界にはまったく理解せられていません」と言っているようなものではあるまいか。何を考えているのだ。勘違いにもほどがある。<br />
<br />
プロのプレイヤーがそんな低姿勢でどうするのだ。ここは謙遜すべき場面ではなく、「エレクトーンプレイヤーです！」と堂々名乗るべきであろう。貴様はトッププレイヤーだろ。<br />
<br />
<br />
鶴瓶師のほか、上岡龍太郎師に対しても、「上岡」と呼び捨て。<br />
それだけでも失礼千万であるが、何の説明もなく、突然「上岡！」と書かれたのでは誰のことなのか直ぐには判別できない。<br />
レールウェイライターの上岡（うえおか）直見先生かと勘違いしてしまうではないか。<br />
<br />
<br />
<br />
「拝啓　大御所先生様」<br />
<br />
そんなに大御所先生様に物申したければ、<br />
<span style="font-size: x-large"><font size="5">ヤマハの助けを借りるなよ</font></span>と物申したい。<br />
ヤマハ関係者にしか発売せられない書物にて幾ら物申しても、自己満足にしか終わるまい。<br />
外の世界にて同じことを言うべきであろう。<br />
<br />
<br />
色々言いたい放題に記されているが、結局ヤマハの手中をさまよっているだけ。本人はそうとは知らずにすっかり一流気取りで、人一倍庶民の味方をしているふりをして綺麗ごとを並べ立てる。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">まさに、エレクトーン界の孫悟空ってわけだな。嘲笑</span><br />
<br />
<br />
</font>タクシーに乗ったとき、運転手と話をすると、<br />
「楽譜が読めないから音楽はぜんぜんわからない」「才能がないからねー」と言われると言う。<br />
是に対し、バカさんは、<br />
「本来ならば、楽譜が読めなくても音楽はできるはず」とし、<br />
「音楽を崇高なる芸術に高めてしまった」と締めくくる。<br />
<br />
一見、正論に思える発言の数々を展開するが、そんなに誰でもできる音楽を目指すならば、<br />
<span style="font-size: x-large"><font size="5">レッスンの折にオーディションするなよ</font></span>と物申したい。<br />
貴様自らが初心者向けのレッスンを開催すれば良いではあるまいか。どうせ自分のレッスンはプロ向けだからと言い訳することであろう。この時点で楽譜が読めない人に音楽を勧めるのは言語道断となる。よくぞこれだけ中身の無い善意を披露していられるものだ。矛盾点に気づかないのだろうか。<br />
<br />
初心者向けのレッスンとなると、料金はそんなに稼げない。貴様の開講しているオーディションつきのレッスンならば45分で15,000円を稼げよう。金にならないので初心者向けのレッスンは引き受けたくないわけだ。そうした考えが、音楽を（この著書が強調するように）高尚めいた、敷居のきわめて高い存在にしてきたのではなかろうか。<br />
<br />
<br />
バカさんの「素晴らしい音楽教育」と位置づけるところのヤマハは、なるほど大人のためのレッスンを開講している。筆者は、ここの大人たちが大嫌い。大人からレッスンを始めた輩は態度が妙に尊大で、「大人からはじめたエレクトーン好き」ということを強調し、それを偉大なる行為であるかのごとく錯覚している。何か苦言を呈すると、「あなたは小さい頃から始めているからそこまでできるんだ。」「私は大人から始めた。子供のように直ぐに一つのことを吸収できない」とご立腹、果てには「そういうあなたは何か賞を獲得したことがあるのですか？！」と嫌味を存分に吐かれる。<br />
最も歯がゆいのは、人生の先輩を気取るところ。音楽はできないが、人生ならば誰よりも先輩だとしてあれこれ薀蓄垂れたり、説教を垂れたり、扱いにくい、やり辛いと言ったらありゃしない。もっと鬱陶しきは、説教を垂れたり、小言を吐くことで、憎まれ役を買っている振る舞いをする点だ。<br />
「あなたのために、わざわざ憎まれ役を買ってあげているのよ？その意気にちょっとは感謝しなさい」とも言わんばかり。その手の輩に限って己は基礎的モラルがまるでなっていないことに驚かされる。<br />
人の秘密は、「友達だから」と言わんばかりに平気で全員の前でばらす分際で、己の秘密は、少しでも口に出されると直ぐに逆上するのだ。どれだけうんざりしたことか。<br />
もう一つ、気に喰わないのは、言うまでもなく、バカさんの欺瞞と打算に気づかないことである。プレイヤーに対してはどんなにモラルが崩れていても良いのだそうだ。どれだけ嫌な思いをしたことか。プレイヤーに対しては、何も思い入れがないから欺瞞や打算に小言を吐かないのか、説教を垂れないのか。筆者は、思い入れがあるから小言を吐き、説教を垂れてわざわざ憎まれ役を買うのか。自分の危機は自分の手や頭を以て察知するものだ。バカさんの欺瞞と打算を良しとするならば、思い入れがないから物申さないと言うならば、二度とバカさんのファンを気取るな。<br />
<br />
（茲でやっている断罪は、筆者のやりたいようにしているだけで、「あなたのためを思って」「敢えて憎まれ役を云々」といった裏の思いやりの念は一切ない）<br />
<br />
大人から簡単にレッスンを始められるようにという名目の元、エレ糞には自動伴奏機能だのサポート機能だの、常識では考えられない機能がつき、肝心の音楽文化そのものを低下させてきた。<br />
サポート演奏が充実しすぎたおかげで、昨今は、譜面を目にしただけではどんな音楽かわからない状態になっている。記譜者は、曲目を全て記譜しないのだ。譜面は真っ白になり、ピアノの世界とは益々落差が大きくなり、愚弄せられてゆく。<br />
<br />
あんなに真っ白な譜面ならば、当該タクシーの運転手たちも簡単に音楽を始められよう。<br />
かくのごとく、プロとアマの境界をなくすことで、エレ糞文化は凋落してきたのである。馬鹿はいつまでも馬鹿なまま、有能なる者は凋落したレベルに物足りなさを感じ、いつの間にかそのレベルに甘えて自らの能力を貶めるか、ヤマハからは巣立ち、外の音楽界に身を投ずるか。前者が、「エレクトーン・プレイヤー」と言われる人たちといえまいか。嘲笑<br />
その原因をつくったのは、このバカさんに他ならない。昭和48年というものがいかにエレ糞文化凋落のターニングポイントであったか、お分かりいただけよう。ヤマハの中でもバカさんくらいしかかくのごとき、所謂誰にでもできる音楽、格差の無い音楽を強調している者を筆者は知らない。<br />
処理の仕方如何によってはうまい音楽教育が提供できたのやもしれないが、残念ながらヤマハは所詮営利企業、営業成績、金銭儲けの方向に走ってしまった。<br />
<br />
学力低下の問題と同じく、学習指導要領を、馬鹿にでもわかるようにと簡単なものにし、学習量を減らし、平等社会を試みた。馬鹿は馬鹿なまま、有能なる者は低下した指導要領に物足りなさを感じ、いつのまにかそれに甘えてしまい、今日の学力低下が起きたわけである。<br />
<br />
<br />
バカさんは、「クラッシックの先生方の一部が、ポピュラーを自分達のやる音楽より一段低いものと考える風潮に疑問を持っている」とする（217頁）。<br />
<br />
残念ながら、この風潮が最もはびこっているのは、ヤマハ講師。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">ヤマハ音楽教室の講師陣が最もこの考えを有している。</span><br />
<br />
</font>酷い講師になると、たとえば、富岡ヤスヤを馬鹿にし、鷹野雅史を崇め奉る。理由は簡単、前者はロックが主流で後者はクラッシックが主流だからだ。その露骨さたるや凄まじい。<br />
<br />
講師のみならず、エレ糞界においては、どうも「クラッシックを弾ける」というのは一つのステータスに捉えられ、クラッシックをたしなむプレイヤーは一段高い位置にあるように思えてならない。<br />
<br />
渡辺睦樹のCDアルバムなど、ヤマハ内外に於いて、評価は180度異なっている。<br />
180度だ。<br />
<br />
コンクールにて、クラッシックの出場が多いのも、そうした考えの講師が多いからであろう。<br />
世の中に物申す前に、ヤマハのそうした体質を自らの手を以て直せと言うのだ。ヤマハから独立している場合ではなかろう。<br />
<br />
<br />
バカさんは、クラッシックよりも森進一の演歌に感動したという。余りに強引な展開で、森進一自身に失礼千万ではなかろうか。ヤマハ関係者にしか読んでもらわないつもりだからとは雖も、余りに不適切で強引過ぎで、森進一本人は得体の知れない冷たい脂汗を握ることになろう。<br />
<br />
<br />
クラッシックがなぜ崇め奉られるのか、それはクラッシックが何百年にも亘ってその輝きを保ち続けているからだ。<br />
<br />
これをみると、音楽は皆平等の水準にあり、格差付けを忌み嫌う姿が思い起こされるが、バカさんの忌み嫌うところの「水準」というのは、理論的なものであり、イメージではない。<br />
クラッシックは永年の輝きを失わないのは事実であり、現代曲、殊にJ-POPSはクラッシックとは比べて一段落ちるのは絶対的なものであり、偏見ではない。<br />
<br />
水準の高低は、理論的であり、絶対的なもので、好き嫌いとは無関係であるし、水準が低いからとあれこれ貶めているというのではない。<br />
そんなにクラッシックを一段上に捉えるのが嫌ならば、絶対にクラッシックには手を出すべきではないし、音楽療法を完全否定してもらわねば困る。<br />
クラッシックが嫌ならば、音楽理論は絶対に用いてはなるまい。<br />
音楽理論というのは、ジャズから生まれでた独自の理論もあるにはあるが、根底はクラッシック音楽からの派生だ。根底たるクラッシックが崇め奉られるのは仕方ない。<br />
<br />
「人それぞれ」というのは、水準の高低とはまったく関係が無い。<br />
高い水準にあっても、「嫌い」と言われればそれまでのこと。逆も亦然り。<br />
<br />
<br />
あるコンサートにて、「クラッシックは芸術であり、ポップスは娯楽である」という見解を下されたことにご立腹の様子であるが、娯楽ならば娯楽なりに思い切り遊び倒せばよいこと。<br />
たとえ、人間性が高められずともそれで十分であろう。おのれは、ポップスを長年やってきたかのような記述をしているが、何か人間性が高まったとでも言うのか。<br />
<br />
<br />
バカさんはインドネシアのガムラン音楽というものにいたく感銘を受けたと言う。ガムランは、そこでは芸術ではなく、生活であって遊びだと言う。人々全てが平等に音楽を楽しんでいる雰囲気だったと言う。<br />
<br />
そいつらって、<font size="5"><span style="font-size: x-large">道端に転がっているハーモニカ奏者みたいなもんだろ。</span><br />
</font>日本では、路上でライブを行っている迷惑この上ないバンドだ。それをバカさんは「生活であって遊びだ」として崇め奉っているのである。何と言う勘違いであろうか。<br />
<br />
<br />
「あるパイプオルガン奏者の奢り」として、バカさんは、パイプオルガンの奏者に対し、「松田さん」と呼ばれるのを至極不快に思ったと言う。後に、「松田先生」と呼ばれるようになったことを光栄至極に思ったようだ。<br />
<br />
普段、掲示板に於いては「師はやめません？」「先生なんて呼ばれるよりも、ボクは『昌さん』くらいが丁度いいです」と発言しておきながら、本場の音楽家たちには「松田先生」と呼ばれたいのか。<br />
<br />
これを傲慢、矛盾と言わずしてなんと形容できようぞ。<br />
<br />
<br />
<br />
「バッハやフランクなどの、敬虔なるクリスチャンである作曲家が、自己を無にし、神を賛美するために作った、人間の心の温かさや、素直さや、豊かさをテーマにした宗教曲を毎日演奏しているパイプオルガンの演奏家の中に、とんでもなく心の偏狭な人がいるのはなぜか、ぼくには理解できない。彼らは、自分の演奏している音楽を果たして本当に理解しているのだろうか」と苦言を呈せられる（216頁）。<br />
<br />
そう言う本人は、母親の喪中の手紙の裏に、結婚式の知らせを載せている。<br />
わかりにくいが、これって、静かなコントだよな。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
真面目に物申させていただくと、筆者は、このような疑問を一番感じたのはバカさん本人。<br />
ファンサービスのがさつさからそれを察知せずには居られなかった。<br />
<br />
<br />
ふと疑問に思ったのだが、その敬虔なる云々って、日野正雄師のこと？？誤爆・・・<br />
<br />
<br />
けだし、この一文、主語と述語、ムチャクチャじゃねえか。<br />
何が主語で、誰が偏狭なのだとか、誰のどこの中になのかさっぱりわかんない。<br />
<br />
敬虔なるクリスチャンである作曲家が偏狭なる心の持ち主だと言うのか。<br />
<br />
<br />
これ、まずいだろーーーー。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large"><b>学校出てねぇだろ</b>コイツーー！！</span><br />
<br />
<br />
</font>どこの頭をひねればこんな支離滅裂な構成の文章を書けるのかさっぱり不明。<br />
小学校の卒業アルバムだよ、これ。<br />
<br />
<s>大川興業の、中卒で保護観察中の身の、「総裁」を「総菜」と変換する新人の方がまだまともな文章を書くぞなもし。</s><br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">こんな知的障害本、買うなああぁぁぁぁぁぁ！！！<br />
<b>0点じゃ、0点！！！</b></span><br />
</font>はさみで<font size="5"><span style="font-size: x-large"><b>カット、カット！！！！！</b></span><br />
</font>文句なしに、整理ポスト決定。<br />
<br />
思うに、茲に記されていることって、殆どが陳腐化しているように思えてならないのであるが、筆者だけ？？<br />
巻末には、「昨今は、歌手やお笑いタレントが適当にしゃべったものをゴースト・ライターが文章にまとめたものがエッセイとしてまかり通り、何十万部も売れているという考えられない時代。こんな時代だからこそ、変なの書けないぞ、という気がよけいにした」というのだが、この本が一番「変なの」だ。<br />
くれぐれも買うなよ。<br />
<br />]]>
    </description>
    <category>電子風琴問題の品々</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E5%93%81%E3%80%85/%E6%9B%B8%E7%89%A9%EF%BC%9A%E5%A4%A2%E3%82%92%E8%BF%BD%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%A6%E3%80%8C%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%9B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Wed, 01 Apr 2009 08:56:35 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">bokumetu43.blog.shinobi.jp://entry/16</guid>
  </item>
    <item>
    <title>CD：YMM　「エレクトーン誕生40周年記念アルバム」</title>
    <description>
    <![CDATA[<a target="_blank" href="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/File/elekuso40years.jpg"><img alt="elekuso40years.jpg" align="left" border="0" src="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/Img/1238511815/" /></a>平成11年発売作品。<br />
<br />
発売とは雖も、ヤマハという小さな世界で短期間の間発売せられていただけである。<br />
店頭に置いてあり、怖いもの聴きたさで買ってみることに。<br />
当時の最新モデルであったEL900を用いた、次代を担うアルバムということらしい。<br />
人気のある曲目を抽出したとのこと。<br />
<br />
<br />
<br />
点数は、<font size="4"><span style="font-size: large">0点。</span><br />
<br />
</font>これを耳にしていると、如何にエレクトーンというものが一人前に大成できない代用品であるかがよくわかる。本職のプレイヤー陣が、「作曲家としての一面を見てもらいたい」と言ったり、他楽器とのアンサンブルを意識しすぎるなどし、エレクトーン音楽をCDに発表したがらない理由がよくわかるというものである。<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">兎に角音が薄っぺらい！！</span><br />
<br />
</font>期間限定だからということで思い切り手を抜いたのか。そうとしか思えない。<br />
<br />
エレクトーンは、独りで何もかもこなさねばならない一面がある。<br />
演奏からリズムまで、1つのスピーカーから鳴る。９００になると、XGサポートという奇妙な機能がつき、自分で演奏する以外のフレーズが加わり、それすらも1つのスピーカーから鳴る。<br />
結果的に、何を言っているのかわからない音楽になるのは明らかであろう。<br />
<br />
これは、エレクトーンのそうした悪態を見事に表しているといってよかろう。<br />
何の工夫もせず、普通にLINE端子から録音したような状態ではあるまいか。<br />
<br />
<br />
にしても、これだけ薄っぺらく、何の特徴も無い音を筆者は知らない。<br />
もう少し何とかならないのだろうか。<br />
これ以上何ともならないとなると、大問題では済まされまい。<br />
<br />
<br />
一所懸命オーケストラを意識したアレンジがある。<br />
本物のオーケストラと間違えそう・・・・・・・・・か？！<br />
<br />
単に内容の薄いオーケストラを聴かされているような気分で物足りないことこの上ない。<br />
<br />
<br />
<br />
こんな薄っぺらく、芸術性、音楽性のかけらも感じられない代用音楽に対し、若松正司師は、<br />
「次代を担うパイオニア。EL９００は未来を担う」などと実に仰々しく、1ページにわたり褒めちぎっている。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">この爺い頭大丈夫か？？？</span><br />
<br />
</font>普通の音楽家ならばこれを「パイオニア」などとは幾ら金をつぎこんでも言ってくれまい。<br />
<br />
<br />
<br />
それとこのCDアルバム、出血大サービスのつもりか、１つのケースに二つのCDを入れている。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">物凄く取り出しにくい。</span><br />
<br />
</font>CDケースがガラス製のため、ちょっとした衝撃を与えるとひびが入ってしまい、かなり取り扱いづらい。<br />
<br />
兎に角エレクトーンという機材の限界を痛感した１つである。<br />
こんな安物で薄っぺらい音色の機材を100万円以上で買わされるだなんてと思うとぞっとする。<br />
これでは外部の音楽家など見向きもしまい。<br />
<br />
<br />
収録曲目？？<br />
んなもん、各自で調べとくれ。<br />]]>
    </description>
    <category>電子風琴問題の品々</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E5%93%81%E3%80%85/cd%EF%BC%9Aymm%E3%80%80%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%AA%95%E7%94%9F40%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 15:04:17 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>CD「HIDE&amp;SEEK　もういいかい」</title>
    <description>
    <![CDATA[<a target="_blank" href="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/File/hideseek.jpg"><img alt="hideseek.jpg" align="left" border="0" src="//bokumetu43.blog.shinobi.jp/Img/1238511557/" /></a>CDアルバム扱いになっているものの、実質的には無駄にサイズの大きいシングルCD。<br />
掲載曲は、たったの2曲。以下に示そう。<br />
<br />
１．HIDE&amp;SEEK～もういいかい・・・～<br />
２．Let　It　Bloom～all　over　the　ASIA～<br />
<br />
<br />
それだけ。<br />
<br />
まず1曲目。<br />
のろまなテンポで非常に冗長。ものすごく疲れた。<br />
<br />
許せないのは、「もういいかい、まあだだよ」を台詞にして表現しているところ。<br />
<br />
実際の人間の子供の声を充ててしゃべらせているのだ。<br />
なんと芸のない表現であろうか。<br />
芸術も糞もあるまい。<br />
<br />
なるほど、「この曲はかくれんぼをモチーフにした曲なんだな」とすぐにわかるが、音楽を以って表現する意義を思うとき、途方もない虚しさが押し寄せる。<br />
<br />
<br />
原曲、正確にはエレ糞アレンジというべきか、そこではちゃんと音符をもって「もういいかい、まあだだよ」と表現していたのに。<br />
<br />
「CDだから」ということで、無理しておまけを加えた結果、無芸の作品に転落した典型例と言える。<br />
<br />
<br />
<br />
2曲目は、「あ～～、、あ～～、、、」と叫ぶだけ。これを8分も聴かねばならない。<br />
付き合っていられるかというのだ。<br />
<br />
言わされている方は非常に退屈な空気を運んでくれる。<br />
「あ～～、、、あ～～～、、、（早くレコーディングが終わってほしい）」という心の叫びが聞こえる。<br />
こちらも、「早く演奏が終わってほしい」と思い、ボーカルに合わせて「あ～～、、、ああ～～（どうしてこんなものを買ってしまったの～～）」と復唱し、激しい自己嫌悪に陥ることとなる。<br />
<br />
<br />
思えば、「エレクトーン」と名のつくCDとは、かくも工夫なきものなのか。<br />
どうも芸を感じないアルバムばかり粗悪濫造せられている気がしてならない。<br />
<br />
とりあえず、ここでは「錯覚」「思い過ごし」としておこう。<br />
<br />
エレ糞関係者は、CDだからと、特典めいた要素を無理に付すのはやめよ。<br />
それは単に自らの芸を貶めているに過ぎないから。少しもプラスに作用していない。<br />
<br />
<br />
このCDアルバムに関しては、文句なしの<font size="4">0点</font>。<br />
フォローのし甲斐ぞ全く無き。]]>
    </description>
    <category>電子風琴問題の品々</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E5%93%81%E3%80%85/cd%E3%80%8Chide-seek%E3%80%80%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%84%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:59:54 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>「海溝」のアレンジを考察する</title>
    <description>
    <![CDATA[エレ糞には名曲も幾ばくかは存在する。<br />
中には数多の者にアレンジを施され、親しまれているものも存在する。<br />
その一つが、これから採り上げる「海溝」。<br />
<br />
昭和55年発表作品。塩谷哲師が、どこぞの中学校に在学中に作曲せられ、発表せられたもので、合歓（ネム）の郷にて、JOCと略される、ジュニアオリジナルコンサートにてあまりに有名な1曲である。<br />
<br />
<br />
その後、どこぞの世界にて多用なる形にてアレンジ、改変が為され、吹奏楽の世界においても幅広く知られている。吹奏楽バージョンに関しては、久石譲師が、昭和56年に吹奏楽アレンジを発表、以後はこのアレンジが「海溝」として吹奏楽の世界に幅広く知れ渡ることになった。<br />
<br />
<br />
<br />
「海溝」は、元はエレ糞のための曲であり、GX-１のためのアレンジが元である。<br />
<br />
本場の世界においては、短調のテーマが広く知れ渡っている。<br />
<br />
有名なるアレンジとしては、<br />
三原善隆アレンジ（昭和57年発表、出典は「5セレクションズ」）、<br />
矢口理津子アレンジ（平成4年発表、出典は「サウンドイン６ファンタスティックサウンド」）、<br />
柏木玲子アレンジ（平成13年発表、出典は「パーソナルシリーズ　柏木玲子）。<br />
<br />
他に、雑誌にてアンサンブルアレンジがあったり、初級者用に久石バージョンのアレンジをさらに簡単にした譜面が出回っている。<br />
<br />
<br />
「海溝」を知る者には、しばしばかかる発言をする。曰く、<br />
「長調の部分が抜けている」と。<br />
<br />
実は、大層ロングランな構成の曲らしく、譜面は短調の部分のみを取り上げているにすぎないという。<br />
<br />
<br />
平成13年、柏木師が「海溝」のアレンジを出されるということで大層なる話題になった。<br />
原曲のサイズが期待できる、原曲に近いアレンジが期待できると騒がれたものであった。<br />
<br />
<br />
実際にふたを開けてみると、長調らしきフレーズが見つからない。<br />
結局長調の部分はカットせられた、従来どおりのサイズのアレンジということであった。<br />
<br />
これまで聴いたことのないイントロのフレーズがあるのが大いなる特色であったといえようか。<br />
そのイントロは、塩谷師本人のアレンジを引用しているとのことであった。<br />
実際に演奏してみるに、どうも退屈で仕方なかった。<br />
どうにも泥臭く、心地よさが生まれない。付け足しの感が強すぎるように思えた。<br />
<br />
師は、「g mollと思わせておいてcis mollのテーマに入る、意外性に溢れた巧みなる手法」と自慢していたが、筆者にはその意義たるものがさっぱり理解できなかった。<br />
<br />
<br />
柏木師によると、本当はcis mollであり、一般に知られているもの（c moll）よりも半音高い構成だという。黒鍵だらけで、とにかく弾きにくいという。<br />
<br />
<br />
偶然にも、なにがしレコード店の閉店セールにて、LP「昭和55年度JOC作品集」が手に入り、「海溝」の原曲を聴く機会に恵まれた。<br />
<br />
本人のコメントは、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">「海溝の深いイメージを曲にしました」</span><br />
</font>それだけ。<font size="1"><span style="font-size: x-small">それだけかよ！</span><br />
<br />
<br />
</font>いざ蓋を開けてみるに、本当にcis mollで、ものすごく暗い曲想である。<br />
イントロは、gis moll。gis Aeolianというべきか。<br />
クールで悲しみに満ちていて、思わず心惹かれてしまいそうなフレーズである。<br />
<br />
例の、gisと思わせておいてcis mollのテーマに入ってゆくところなど、本当に意外性溢れる展開で、その神秘性に虜にならずには居られなかった。<br />
<br />
Gis音を伸ばしておき、静かにcis mollのテーマを発信させる。<br />
このGisの線は非常に重要。なんという流麗なる線であろうか。<br />
<br />
テーマに入るところ、リズムがなく、静寂に溢れており、非常に暗く、物悲しい雰囲気である。誰かの魂を弔っているかのような敬虔なる空気さえ感じ取れる。<br />
<br />
<br />
何とも不思議に思ったのが、本家のイントロは、ものすごく神秘的で、イントロからテーマに入る間や、その意外性あるコード進行に思わず心がときめき、あっという間の出来事だったのに対し、柏木師のアレンジしたものは、同じ譜面のはずなのに、ものすごく冗長で、ものすごく眠く感じ、苦行の時間でしかなかったことである。イントロからテーマに入る間など、強引至極で、つながりのかけらなど微塵も感ぜられない。同じ譜面なのに、だ。主たる相違点は、<span style="font-size: large"><font size="4">半音高いか</font></span>、ただそれだけである。<br />
<br />
わずかそれだけの違いが、これだけの味わいの相違を生んでしまうというのか。これだけ聴き心地というものに影響を及ぼすというのか。<br />
調というのは、それだけ重要なる役割を占めているというのか。<br />
<br />
特にイントロは、gとgisとであまりに印象が違いすぎる。このイントロは、gisのために生まれたものなのであろう。にしても、これだけ印象が変わるのはにわかに信ぜられない。<br />
<br />
<br />
<br />
実のところ、柏木師のアレンジには物申したい点が幾つかある。<br />
わざわざ半音下げていることはさておき、イントロからテーマに入らんとするところである。<br />
<br />
<br />
本家は、「G#sus4ーG#mーC#m（以下テーマが展開せられる）」のところ、<br />
師のは、「Gsus4ーCm」になっている。<br />
文字にて表しただけでは、G#mに相当するコードが抜け落ちているだけに思えるが、この差は相当に大きいように思う。Gsus4で終わるため、落ちたのか落ちていないのかよくわからないし、誤魔化しの空気も感ぜられ、妙なぎごちなさが漂うことになる。その状態で、「意外性溢れる展開」と強調せられても、こちらは疑問符が頭に浮かぶのみで何の感動や驚愕の念も生まれない。<br />
sus4で終わらせるコード進行は、馬鹿か無芸なアレンジャーが格好をつけるためによく用いるやり方であり、名曲たる海溝にはふさわしくなかろう。<br />
<br />
間も悪い。師のアレンジは、無理してリズムを入れるため、イントロからテーマに入るのに丸1小節空けているのだ。リズムを入れる以降の展開は、FD AUTOにて演奏できるように配慮した結果のことであるが、この間は感心しがたい。「海溝」を演奏するに当たり、あまりに不適切な1小節である。筆者に言わせると、ここからリズムを入れるという魂胆が気に喰わない。<br />
<br />
本家は、イントロの終わった後、ほぼ直行の形でテーマに入っていた。<br />
落ちたと思しき展開から、新たなるcis mollのテーマが流れ込んでくるわけである。その意外性に感動するとともに、gis Aeolianスケールからは、cis mollのドミナントがごとき働きが透けて見え、流麗なる流れにまた違った感動を覚えることになる。<br />
<br />
<br />
本家のこの部分、本当に黒鍵だらけで、手も思い切り伸ばさねばならない、難関至極な箇所であるが、妥協は禁物である。ここは原曲の調で行かないことには、何の感動も生まれない。<br />
<br />
<br />
サビのところ、E durが透けて見える、やや明るい色彩の展開となる。リズムはこのあたりから入る。<br />
本家は、Piu Mossoを見せていた。ロングランの展開のため、原曲どおりのサイズの場合は、Piu Mossoすべきなのやもしれない。<br />
暫くしてテーマに戻る。戻るところ、ドミナントの代理コードを用いているのが心地よい。<br />
<br />
そのテーマの部分が終わり、3拍子になる。奇妙なコード進行を見せ、D durとなる。<br />
このD durというのが、失われた長調の部分である。快活なるテンポの3拍子で、可愛らしいメロディ。海にて遊ぶ魚たちが目に浮かぶ。そこには、母親とすごした楽しき毎日が透けて見えると評する者も居る。<br />
3拍子の部分、ドミナントコードのあとにフラットの6度のコードをぶち込むという進行にはただただ驚愕するのみ。尋常でない努力の姿勢が感じ取れる。<br />
<br />
3拍子の部分にもいろいろあり、大まかにはD durとF durの部分があることになる。Fの部分は、テーマ&rarr;アド・リブという展開がある。アド・リブは、明らかにGXならではの音色であろう。他の楽器では出ないように思われる。海洋にて遊ぶ海水生物たちの生き生きとした姿が目に浮かぶ。<br />
<br />
ブリッジの部分は、C durになったりEs durになったり、一言では表せない展開をみせる。ドミナントペダルが良き緊張感を生み出している。<br />
<br />
そうこうしているうちに、c mollを思わせる展開となり、ドミナントコードがやってきて、有名な短調のメロディに舞い戻ることになる。<br />
<br />
茲でまた不思議で意外性ある発見をすることになる。<br />
短調のテーマに戻るとき、単純に「D.S.」と言いたい所であるが、これは間違い。<br />
なんと、c mollになっているのだ。<br />
c mollにて短調のメロディ、初めはcis mollにて奏でていたメロディを、c mollにて奏でるのだ。<br />
<br />
これにはやられた。普通は、素直に「D.S.」するであろうところを、本家は敢えての形を以てか、c mollにて奏でる。これにより、どこか落ち着きある雰囲気をかもし出すことになる。<br />
<br />
母親の魂を、楽しい思い出の日々を海底に鎮める決心がついたかのような落ち着きが感ぜられるのだ。<br />
<br />
<br />
c mollにて演奏となると、「原曲は世間に知られている調より半音高い」という見解は虚偽ということになる。大枠はこの見解で十分なのであるが、言葉足らずではある。<br />
<br />
<br />
市販のアレンジを半音上に上げて演奏しても一緒。海溝は、それでことが済む様な拙作ではない。<br />
現に、広く知られているc mollのメロディが原曲の中に組み込まれているのだ。<br />
<br />
サビはEs dur。市販のアレンジをそのまま半音上に転調させると、このあたりにおいて不具合が発生する。無駄に明るくなり、海溝の有する悲しみが打ち消されてしまう。<br />
<br />
Codaは、同主調へ転調となる。<br />
イントロのフレーズをes mollへ転調させた形となっている。<br />
<br />
<br />
柏木師のアレンジの不満は、このCodaの処理。<br />
原曲とはまったく異なっており、その書き換えがとにかく下手糞。如何にも無理してくっつけたのが丸わかりで、ここで筆者は強靭なる睡魔に襲われることになる。<br />
<br />
原曲のCodaをそのまま引用するのはどうも腑に落ちないとの判断があったのだろうが、このCodaの処理はひどい。<br />
<br />
やはり原曲のCodaが一番であり、このCodaを生かしたいとなると、原曲サイズにて演奏する必要が出てくる。<br />
<br />
<br />
<br />
ヤマハ関係者は、この本家のアレンジを、「JOC臭が漂う」として忌み嫌い、馬鹿にしている心意気すら感じ取れる。とんでもなく忌忌しき事態であり、筆者に言わせれば、本家のアレンジが一番。<br />
文句なしの満点。ここで言う満点とは、「作曲の意図が完全に感じ取れる」という意味合いに受け取っていただきたい。<br />
<br />
この海溝のメロディは、塩谷師本人の意図したアレンジにより生きてくるものであり、その他の構成にした場合、あちらこちらで不具合が発生し、大事には至らずとも、塩谷師の意図はまったく生きてこない。<br />
<br />
<br />
ヤマハ関係者の馬鹿にした見解を重んじてか、あまりにも弾きづらい構成を改善せんとする思いやりの表れからかどうかは知らないが、この「海溝」の発表から2年後に登場したのが、三原善隆アレンジである。茲では、イントロとエンディングのフレーズはまったく単調なるものに書き換えられ、テーマはいわゆる半音下げられた格好になり、単純なる「テーマ&rarr;アド・リブ&rarr;テーマ」といった構成のジャズロック調のアレンジとなってしまった。<br />
<br />
原曲は黒鍵だらけで非常に弾きづらい。半音下げると、白鍵だらけで弾きやすいものとなる。ヤマハ関係者には弾き易く、親しみやすいものに映って当然か。「JOC臭い」と馬鹿にする土壌では、ますます三原アレンジの評価は高まろう。かくして、三原アレンジが「海溝」として広く知れ渡ることになってしまった。このアレンジの発表は57年、翌年にはグレードの課題曲としてJOC曲が課せられることになった。「海溝」は、三原アレンジが知れ渡っているからといことで、原曲は課題曲からはずされてしまったのである。何と忌忌しき展開であろうか。<br />
<br />
<br />
実のところ、三原アレンジは、「海溝」の名を用いるべきではない。これはアレンジではなく、「変奏曲」である。「モチーフ即興」というべきか。<br />
<br />
三原は、原曲におけるc mollのフレーズをテーマとして用い、サビはEs durのメロディを用いる。アド・リブはそのコード進行をスケールとしたものである。ここは、グレード試験の即興演奏にていうところの2コーラス目の位置に相当しよう。<br />
c moll&rarr;Es durのメロディを用いた変奏曲であり、本来の意味における「海溝」ではない。海溝はこのメロディがすべてではない。上記にて示したとおり、三原が操っているc mollの部分はほんの一部分に過ぎない。これが「海溝」として知れ渡るとはなんとも嘆かわしい。<br />
<br />
親しみやすいといわれるが、筆者は非常に親しみにくい。同じ展開が続くため、意外性など生まれないし、どこか無理を感じてしまう。原曲を知らない者にとってはこれで満足できようが、原曲を知ってしまうとどうも要領の良さ、ずる賢さばかり感じ取れてしまう。<br />
この曲は、テーマ&rarr;アドリブ&rarr;テーマという、いわゆるジャズ・ロックの展開にはふさわしくない。もしもその形がふさわしいならば、塩谷師は初めからジャズロック調のアレンジにしていたはずである。どうしてあのような弾きづらく、大河調の展開にしたのか。それが一番ふさわしい曲想だからそうしたのである。もっと曲の根底に流れる意図たるものを察知すべきである。<br />
<br />
<br />
曲は、個人の思いのままに操るのが最も素晴らしい。「ああせよ、こうせよ」とは一切言わない、というのがヤマハ音楽教育ではなかったのか。<br />
<br />
<br />
三原アレンジの不満は、テーマに入る前のドミナントコードの処理。<br />
G7ミクソリディアンスケールと、同Hpm5&darr;を2拍ずつ配置している。G7の次にくるのはCmだ。ミクソリディアンスケールを置く必要がどこにある。素直にHpm5&darr;１つで事足りよう。<br />
おそらく、「ミ（ナチュラル）ーミ（♭）ー／レ」というカウンターラインを聞かせたくてそのような無理ある配置にしたのであろう。なんだか、アレンジ初心者がテンションというものに固執しすぎてやらかす失敗状態ではあるまいか。<br />
<br />
<br />
柏木師のアレンジも、長調になる部分は剥ぎ取られ、単調なるアド・リブパートになっている。原曲どおりの譜面に一部なっているため、冗長な感じのする三原アレンジという印象になってしまっている。<br />
どれもこれも半端で、あまり普及していない。<br />
<br />
<br />
<br />
矢口理津子アレンジは、無難ではあるものの、EDの処理はやはり腑に落ちない。どこか違和感を感じてしまう。<br />
<br />
<br />
<br />
全体的傾向を見ると、アレンジは三原で、音色は矢口で、といった具合である。<br />
筆者は、原曲にかなうアレンジはないと思えて仕方ない。<br />
<br />
点数を付すとなると、上記に挙げた有名なアレンジについては、上から0.5点、3点、0点である。<br />
<br />
<br />
柏木師のアレンジには尋常でないくらい辛口評価になっている。<br />
厳密には、これは柏木アレンジではない。リズム・プログラミングには日下奨太郎が加わっており、音色もどうも日下臭く、本来ならば日下奨太郎アレンジとすべきである。<br />
<br />
<br />
柏木師の意向はほとんど通っていないのではなかろうか。柏木師にとって、調というのは絶対の存在であったはずだ。<br />
筆者のような参加賞どまりの平民ですら、「海溝」の調の重要性をいたく痛感するし、半音下げて演奏し、長調その他をみすみす抜き取られた半端なアレンジに怒りを覚える。柏木師ならばどれだけ不満がたまっていたことかと思うと、なんだかいてもたってもいられない思いに駆られる。<br />
<br />
柏木師はグレード1級。1級というのは認定級で、ヤマハが認めた者に送られる、異端の地位にある級で、試験を受けて取得できるものではない。ヤマハが貢献度他を判断することで与えられる。ヤマハが認めた者の意向を通さないでどうする。<br />
<br />
<br />
<br />
本家のサイズにて演奏せんとなると、7分強、場合によっては8分20秒は覚悟せねばならない。コンクール出場は絶望的となるのであろうが、今は、フリーのサークルがはびこっており、コンクール以外にて発表する機会はあまたにあるはず。そこで存分に「海溝」の有する神秘性を発揮すればよい。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
久石譲のアレンジを忘れてはなるまい。<br />
こちらは1点。<br />
なんといっても、イントロをg mollにしているのが最大に気に入らない点。<br />
<br />
長調の部分を再現してくれているのはありがたいものの、Des durにて統一しては居なかったか。<br />
なんだか、塩谷師の変化に富んだ転調を統一してしまっているのだ。<br />
<br />
「子供っぽい」「JOC臭い」と考えたのだろうか。<br />
とんでもない、その変化に富んだ転調こそが「海溝」の命である。<br />
<br />
その命がほとんど剥ぎ取られ、実に平凡なる展開になってしまっている。<br />
<br />
どうして原曲の根底に流れる悲しみたるものを理解せんとしないのか。<br />]]>
    </description>
    <category>電子風琴問題の品々</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E5%93%81%E3%80%85/%E3%80%8C%E6%B5%B7%E6%BA%9D%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%92%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%99%E3%82%8B</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:55:43 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">bokumetu43.blog.shinobi.jp://entry/13</guid>
  </item>
    <item>
    <title>掲示板にてこんな一件があった。それについて語らせてもらう！</title>
    <description>
    <![CDATA[ネット上では、顔が見えず、あまたの場所からの閲覧であり、皆が見ているわけであり、発言には逐一気を遣わねばと言われる。<br />
<br />
ネット上のみならず、苦慮するのはバカの思考に対する処理如何である。<br />
<br />
<br />
実に腹立たしく思う一件があり、未だに疑問に思えてならない憎らしき一件を取り上げ、検証・批難したく思う。<br />
<br />
<br />
発端は、あるバカ小母Cの発言から始まる。<br />
このCの子息Dが、音楽コンクールの予選を見事通過したらしく、喜びに暮れるC、更なる精進を目指さんと、Dを鍛え上げる意欲に燃えているという。店別大会を通過せしめ、地区、県と進ませるつもりなのであろう。<br />
調子にのったか、このC、「鬼ママと呼んで下さい」とのたまう始末。<br />
<br />
そこで、筆者は、「それじゃあスパルタマザーで（如何でしょう）！」といった旨の突っ込みの書き込みをしてやった。純粋にのり突っ込みである。<br />
<br />
ところが、この発言が何故か重苦しい空気にしたらしく、このC、何故か<br />
「別にスパルタではありません」と逆ギレする有様。<br />
<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">「『鬼ママ』と呼んで下さい」</font></span>という意気込みはどうしたのやら。何故「鬼ママ」はよくて、「スパルタマザー」はいけないのだ。似たようなものだろ。<br />
初めからそのようなのり突込みが不快に思うならば、軽々しく「鬼ママと呼んで下さい」などとのたまうなバカ母というのだ。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">そんなことだから子供一人ろくに育てられないのだよ<s>この穢多痴枯</s>！</span><br />
<br />
<br />
</font>周りはどうしたか？どういうわけか筆者はすっかり悪者扱いせられる有様。<br />
「鬼ママと呼べ」というからその誠意に応えたというのに、何故者扱いせねばならないのだ。<br />
そのことをCに物申してやると、C曰く、<br />
<br />
「だって『Cさん悪口を言っている』とメールが来るんだよ？そういうわたしも悲しい」と。<br />
<br />
<br />
「掲示板は皆がみるんだよ？」だとな。<br />
だからどうしたというのだ。わからないバカはわからなくてよい、泣かないホトトギスは死あるのみというのが、筆者の信条である。<br />
<br />
<br />
筆者は、「スパルタマザー」というのり突っ込みを「悪口」と解するその神経に途方もない怒りを感ずる。何という表面的解釈、いな、表面的解釈どころか、曲解もはなはだしい。<br />
Cは「鬼ママと呼べ」と列記とした根多フリをしており、筆者はそれに答えただけ。<br />
<br />
正直なところ、筆者は「悪口」と解釈するその頭脳が理解できない。<br />
<br />
<br />
本来、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">Cは悪口と解釈したバカに対して怒りの矛先を向けねばならないはずなのに、何故か「悪口」と解釈したバカの味方になって筆者を誹謗する有様。</span><br />
<br />
</font>あのさあ、初めから「スパルタ」なんていわれるのが不快に思うのならば、「鬼ママ」なんて呼ばせようなんてさせないでくれる？<br />
バカもさることながら、このCも凄く無責任極まりない。この程度の冗談が「悪口」としか捕らえられない浅はかなる頭脳の持ち主に、軽々しくブラックユーモアなど用いるべきでない。そのあたりも、筆者はCに対して尋常でない怒りを覚える。<br />
<br />
<br />
<br />
このお陰ですっかり筆者は悪人扱いせられ、とんでもなく悪印象をもたれたようである。<br />
勿論、筆者はこれに媚びてたまるかと思い、結局かくして遅ればせながら、あの時の怒りの心情を綴っている有様である。<br />
<br />
<br />
何故、Cは、バカの見解を支持したか。<br />
答えは簡単、人脈第一だからである。<br />
<br />
このような表面的見解すらできないバカが多数を占めていたらしい。その多数の人脈に入ることがCには幸せなことと考えたのであろう。ふざけるのも大概にしろというのだ。<br />
<br />
Cは、ネット上にてあまたの友人を集めんと努力し、日常生活に於いても主婦仲間に囲まれているのだという。<br />
<br />
<span style="font-size: x-large"><font size="5">それがどうした</font></span>というのだ。<br />
<br />
<br />
なるほど人脈を拡げれば拡げたなりに外の世界、知られざる世界を堪能できる楽しみはあろう。<br />
<br />
このCを見ると、明らかに不自然な見解なのに多数だからと人脈を気にして筆者の正当なる見解を否定しているような感じで、人脈の多さを満足しているようにとても思えなかったし、兎に角人脈が広ければそれでよしという浅はかさが滲み渡っており、楽しみどころか、その綱渡り的人間関係に吐き気を催してしまった。<br />
そんなにまでして人脈を拡げ、友人を多く擁して満足で居られるのか。勿論広い人脈に快感を覚えるから人脈の拡大に固執しているのであろう。<br />
それならばそれでよいのだが、筆者にその楽しみを押し付けないでいただきたい。<br />
<br />
<br />
筆者は、たとえ人脈こそ狭かれ、自身の信念・信条を厚く、頑なに貫き通す者に強い憧れを覚え、強い信頼の心を抱く。<br />
<br />
殊に、明らかに多数派のバカの見解、「スパルタマザー」発言を悪口と捉える見解を正さねばならないのに、そのような行動をとると、自身の人脈が狭まってしまうからとして筆者の正しい見解を悪と捉え、多数派に迎合してしまう姿勢、余りにカッコウ悪すぎで開いた口が塞がらない。<br />
<br />
人脈に、友達関係に余裕があれば、多数派の間違いに迎合する必要はないし、迎合しないでフォローできるはずなのだが。<br />
<br />
間違いを間違いと正面切って物申せず、是非が問えないままにだらだらとひたすらに都合良く肯定意見を言い合うだけの表面的関係のどこに、意義ある人脈と言える要素があろうか。<br />
<br />
<br />
こんなバカなCが音楽教室を開き、高い月謝を取ってのんびり暮らしているというのだから、日本人の音楽教育が低く見られて当然である。<br />
<br />
<br />
そのCは、「掲示板は、みんながみているから」ということで、如何なる節度ある態度を示しているというのだろうか。<br />
<br />
<br />
ある日、家の修理工が訪ねて来て、その修理工が木村拓哉に似ていたらしく、浮気を考えたらしい。主人を捨てて、その修理工と再婚したいといった旨の書き込みをする始末。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">これって物凄く主人に対して不愉快至極に思えるのだが、そのような解釈をしたのは筆者だけなのであろうか？？</span><br />
<br />
<br />
</font>Cよ、おのれは自分の趣味の為に主人にどれだけ迷惑をかけているのか自覚しているのか。<br />
おのれのくっだらない教室の為に、維持費はバカにならない状態のはず。ピアノの他に、エレ糞なんてものも無理して教えるとなると、楽譜の購入やら他の雑用等で、どれだけ費用がかさんでいることやら。そのようなわがままを許してくれている懐広き主人のはずなのに、「木村拓哉に似ているから」という理由だけで、主人を乗り換えんとするその姿勢。これが、悪口として捉えられず、平然とまかり通っているCの友人関係。<br />
<br />
筆者は、これこそ不適切発言に思えてならない。何故これが不愉快に捉えられないのか。<br />
この発言をしたCこそ、糾弾せられてしかるべきである。<br />
<br />
<br />
木村拓哉に似ていれば、後は何をせずともよいのか。<br />
今やっている教室だなんて、二度と続けさせてもらえない可能性がある。<br />
<br />
何より、子供達はどうするのだ。木村拓哉に似ているからというだけで父親を変えられてはたまったものではないだろう。なんと不謹慎なる母親であろうか。子供に対する配慮がまるで欠けている。<br />
<br />
筆者がこのCの子供の立場ならば、一瞬で非行に走ることであろう。<br />
保険金殺人をたくらみ、Cを殺害後、八木茂死刑囚と江頭２：５０と共に、埼玉県にあるスナック横浜にて明るく飲み会を開いていたことであろう。<br />
<br />
<s>どうりで子供がきちんと育てられなかった前科ができちまうわけだな（禿藁</s><br />
<br />
<br />
筆者は、この顔を基準で男の良し悪しを決めるというベタベタな姿勢が実に不愉快に感じて仕方ない。実の所、2枚目と呼ばれる男性陣は、その特性に甘え、中身が欠如しているのが実のところではなかろうか。<br />
この浅はかなる笑わせ方、非常に低次元に思えるし、筆者の普通の突っ込みを悪口としか捉えられない分際でブラックユーモアを吐くなというのである。<br />
<br />
<br />
露骨な態度を見せたこともある。<br />
このC、「好きな（エレ糞）プレイヤー」ということで、「窪田宏、富岡ヤスヤ、塚山エリコ」を指折りのお気に入りとして挙げていあがった。<br />
「松田昌は？」というと、ポップスの頃（恐らく昭和50年代のことであろう）は好きだったが、今は癒し系に走っているから好きではないとのことであった。<br />
<br />
ところがどっこいである、この松田昌が名古屋地区にてレッスンを開くことになった。<br />
その途端にCは「好きなプレイヤー」に「松田昌」を書き加え、掲示板に「レッスンを受けたい」と神妙な面持ちで書き込みをするフリをする有様。<br />
<br />
この姿勢、筆者の「スパルタマザー」よりもよほど問題行動に思える。Cよ、お前「塚山エリコ」の上に松田昌の名前を書いてたろ。その分際で「エリコ先生～～」などと媚売ってんじゃねえよヴォケが（糞<br />
<br />
<br />
<br />
何年か経ち、何故かCのHPは閉鎖せられていた。<br />
荒らしが来たから？<br />
<br />
否。「良くない掲示板に貼り付けられたから」それだけ。<br />
<br />
<br />
あのぉ～～～～、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">HPってみんなに見られるものなんすけど？？</span><br />
<br />
<br />
</font>たとえ、そのCののたまうところの「良くない掲示板」に貼り付けられていなくとも、当該掲示板利用者が貴様のHPを閲覧している可能性は充分にある。<br />
<br />
何やら、Cの住所と思しき書き込みが、当該掲示板に行われたとかで、子供が誘拐せられるのではという恐怖感にさいなまれたのだという。<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">それじゃあどうしてそんなに大事な子供の写真をHPに掲載していたんでしょうかねぇ～～（嘲笑</span><br />
<br />
<br />
</font>全く貴様は講師失格、母親失格、家内失格、頭脳失格、勿論お笑い失格、ひいては人間失格。<br />
ったく救いようがないね。<br />
<br />
<br />
<br />
もうはっきり言ってしまうが、ヤマハ音楽教室の講師陣って、月謝を何と心得ているのだろうか。<br />
実力はどうあれ、金をとっている以上、立派なプロである。<br />
<br />
プロ気取りであれこれHPに公開していたはず。「掲示板は皆が見ているから」と豪そうにのたまっておきながら、己は「良くない掲示板に貼られたから」と、あっさり閉鎖する有様。<br />
<br />
<br />
結局、「皆が見ている」という認識がなかったのである。<br />
兎に角、都合のよいイエスマンがよってくれればそれで満足という、実に浅はかなホームラン級のバカだったのである。<br />
そんな分際で、月謝10千円を平気でもぎとるヤマハ音楽教室の講師たち、<br />
まったく開いた口が塞がらない。<br />
<br />
<br />
話を初めの「スパルタ」発言云々に戻したい。<br />
<br />
<br />
ブラックユーモア（ここでは「『鬼ママ』と呼んで下さい」発言）をフリで用いるならば、その返しにも敏感であるべきであり、的外れの見解に動じない姿勢を以て使用すべきである。<br />
<br />
筆者の「スパルタ」発言には、単なる返しのほか、ブラックユーモアに対する返しに対して敏感であるべきよう、余裕ある環境を願っての意味合いが込められている。筆者ならばまだしも、いつかもっと心無き返しがやってくる可能性も十二分にある。掲示板はあまたの者が全世界からみているわけである。如何なる返しにも敏感であるべきであり、いつかどうしようもなく険悪なる状況に陥ったときに、どこまでユーモアを以て対応できるか、いや、そのような状況下に対しても笑いの心を損なうことなくユーモアを以て心無き突っ込みに対処していただきたい、そのような切実なる願い、計算が込められているわけである。<br />
<br />
<br />
「スパルタマザー発言」を「悪口」と解釈したバカ講師達よ、どうせヤマハ講師陣だろう、そのような的外れな解釈をしていい気になっているヤマハ講師陣よ、筆者は、一つの書き込みをする際には、これだけの計算や思いを込めている。貴様らよりもよほどはるかに勉強しているだろう。<br />
<br />
最近、ヤマハ講師陣は、一般教養の習得を義務付けられているようであるが、その前に、楽典の知識をもっと習得せしめるべきである。<br />
ヤマハ講師陣って、プロ意識がないのかどうかわからないが、どうして音楽記号とか覚えていないのであろうか。<br />
例：メゾスタッカート：「上にテヌートがついているから」と何とテヌートと解釈させた。<br />
　　　知識なくても類推で意味が把握できるのに、それができないバカ講師。<br />
　　riten.：なんとこれを「ラテンロック」と解釈する始末。<br />
string.：これにいたっては「ストリングス」と解釈してさあ大変。以下略。<br />
<br />
これで指導･演奏・ピアノグレード4級？ふざけるなと物申したい。<br />
<br />
<br />
こんな馬鹿げた人脈など、こちらからお断りであり、迷うなく、我が代表、堂々退場す。<br />]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF%E3%81%AB%E3%81%A6%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E4%B8%80%E4%BB%B6%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%AA%9E%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%A6%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%86%EF%BC%81</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:52:40 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>デモンストレータの意義を考察して</title>
    <description>
    <![CDATA[エレ糞の世界は面白く、奇妙なる構成が採られている。<br />
そのうちの一つで挙げねばならないものが、デモンストレータの存在であろう。<br />
<br />
この意味するものは果たして何か、筆者なりに考察してみたい。<br />
<br />
<br />
デモンストレーション、言ってみれば店頭販売である。それを行う者がこちら、デモンストレータである。エレ糞の販売を推進し、広く一般人民にエレ糞の面白さたるものを主張せんとする趣旨のようである。<br />
<br />
<br />
エレ糞には、演奏を生業とする者としてプレイヤーと云う存在がある。<br />
単純に演奏を聞かせるならばこのプレイヤーにて事足りよう。それを、エレ糞の世界ときたらわざわざデモンストレータという職を配しているのである。<br />
<br />
<br />
単純に演奏の楽しさを主張する目的ならば、プレイヤーのみにて事足りるはず。わざわざデモンストレータなどという得体の知れない役割を配置しなくても良いはずだ。それがわざわざ配置せられ、生業として堂々と成り立っているわけであり、何とも奇妙なる気分に駆られる。<br />
趣味の世界ではなく、生業として成り立っているのが不思議だ。<br />
何故、演奏の楽しみ、音楽の楽しみを一般人民に幅広く伝えるためにプレイヤーではなく、わざわざデモンストレータにさせるのであろうか。<br />
<br />
<br />
筆者は、このデモンストレータをエレ糞文化凋落の原因の一つと考察する。<br />
よく、エレ糞は機能が増えて駄目になったと言われる。<br />
今に始まったことではない。フロッピーが発達した平成以後は幾度と無く古株のプレイヤー陣から指摘せられ続けた。今も飽くことなく指摘せられ続けている。一向にエレ糞のその多機能のもたらす害、悪影響が改善せられる兆しが見えてこないのが不思議で仕方ない。<br />
<br />
何故かくもエレ糞文化は改善の兆しを見せんとしないのか。<br />
エレ糞文化の凋落の原因は何か。<br />
<br />
一つは茲のカテゴリに挙げた嫌いな人物の存在。<br />
一つは、このデモンストレータの存在である。<br />
このデモンストレータを、無理して生業と位置づけるところに今日の、正確に言えば、20年前から本格的に始動するエレ糞文化の凋落が在るのだ。<br />
<br />
<br />
考えても見ていただきたい。<br />
何故HS8やHX1はかくも多機能で、操作がやりづらくなっているのか。<br />
もっと素直な配置に出来るはずなのに意図的に操作をやりづらくしているようである。<br />
<br />
<br />
ELになってからのこと。<br />
かかる名文句を耳にしたことはあるまいか。<br />
「ボイスエディット次第にて、かくも良質の音色が提供できる」という文句を。<br />
「別売のボイスディスクがあれば、プリセット（予め備えられている音色）よりもより良質の音色が提供できる」という宣伝文句も耳にしたことは無かったか。<br />
<br />
EL９００になってからのこと。<br />
ホリゾンタルタッチと言う世にも奇妙なる演奏方法が確立した。<br />
これを用いているのは一部の人種のみで、大半は７００以下を用いているために、エレ糞の市販アレンジはホリゾンタルを考慮せざるものにならざるをえず、何だか宝の持ち腐れと貸してしまった感がある。意義も丸で見えてこない。偉そうなことを云っておきながら、結局既成楽器の物真似機能としてしか確立していない。<br />
<br />
<br />
捨て字亜（ELS)になってからのこと、何故かタッチパネルとなった。<br />
非常にやりづらくてやる気が失せる。というより完全に失せた。<br />
何故わざわざやりづらいタッチパネルとしたのか。<br />
<br />
<br />
全てはデモンストレータを生業と位置づけることから始まる。<br />
<br />
HS8のことを考察してみる。<br />
この頃、富岡ヤスヤという馬鹿が台頭してきたろう。<br />
よく、操作自慢をしていたはずだ。<br />
ヤマハ関係者も、その操作の巧さには舌を巻く毎日で大変だったとの事。<br />
その操作自慢をするためにわざわざあれほどまでにややこしい機能にしたのである。<br />
若しも、FS・FX以前のつくりならば、かくもデモンストレータは操作自慢が出来なかったろう。<br />
操作自慢をするため、操作自慢にて金銭を頂戴するため、意図的にややこしい機能にし、一般ユーザーを失望に追い込んだと言うわけである。<br />
<br />
何故古株のプレイヤーの意見が聞き入れられないのか。<br />
考えてみれば、このエレ糞、ひいてはヤマハ音楽振興会、物凄く音楽家たるものを愚弄しては居なかろうか。本来ならば、ヤスヤよりも古株のプレイヤーの方を大切にすべきであろう。<br />
他にもHS以降の操作のややこしさに辟易した者は数多に存在しているはず。現在もそのことで議論が行われている。改善の兆しは全く見られない。<br />
それもこれも、ヤスヤを初めとするデモンストレータのせいであると筆者には思えて仕方ない。<br />
<br />
EL以降も、ボイスエディットの操作はやりやすくはなったものの、相変わらず一般ユーザの手を煩わせており、誰もが気軽に使えるつくりにはならなかった。<br />
<br />
それもこれも、デモンストレータの仕事を増やすためである。<br />
<font size="4"><span style="font-size: large">操作を意図的に困難にし、操作についての相談の仕事を増やすためである。</span><br />
</font>考えても見ていただきたい。<br />
エレ糞の操作をこれほどまでにややこしくする意義はどこにあるのだろうか。<br />
<br />
音色に付いて考えてみよ。<br />
エディット次第にて素晴らしい音色に変身するのであれば、<br />
<font size="4"><span style="font-size: large">初めからその素晴らしい音色をプリセットにするものであろう。</span><br />
</font>何故わざわざ薄くて質の悪い音色をプリセットにするのだ。<br />
何故良い音色を見つけるのに手間隙のかかる操作を強要するのだ。何故一々エディットを経ねばならないのだ。何故良い音色を見つけるのにわざわざ別売のボイスディスクを購入せねばならないのだ。<br />
<br />
それもこれも、全てはデモンストレータの職を増やすために行われてきたものである。<br />
わざわざ悪い音色をプリセットに当てることにより、デモンストレータはエディットに付いての相談の仕事が増えることになる。それについての操作の説明会の仕事が与えられることになる。程度の低い目立ちたがり屋、自己顕示欲の強いバカには打ってつけだ。<br />
別売のボイスディスクの製作の仕事も増えることになる。<br />
ヤスヤのことを考えてみよ。お笑い通を装っておきながら、その実は実に汚らしいではあるまいか。<br />
この悪いつくりがために、ボイスエディットに付いての説明ビデオに出演すると言う仕事が与えられ、ボイスディスク製作と言う仕事が与えられ、リズムの製作と言う仕事も与えられた。<br />
<br />
思えばELのリズムは非常に粗悪である。<br />
何故アクセントレベルが０から８と9段階もあるのに、４までしか用いていない。<br />
それもこれも、よりよいリズムを提供するため。<br />
音色データに於いて、より良い音色を提供すると見せかけるためである。<br />
<br />
そこに思いやりなどない。全ては自分の利益のことしかない。<br />
ヤスヤは何故かくも笑いに走るのか。真面目さを見せ付けないためか。<br />
断じて違う。かくのごときデモンストレータの裏事情を見せないようにするために笑いに走るのである。<br />
まともな神経の持ち主ならば、ヤスヤのなすこと、洒落はどれもこれも底辺レベル、素人レベルであり、アマチュアトップにすら達していないことに気づくはず。<br />
<br />
<br />
ヤスヤのライブにて、ボイスエディットを駆使した笑いをしてはいなかったか。<br />
エディットにより、猫の音を出して見せたり、人の喋る声を真似して見せたり。<br />
リズムを駆使し手目覚まし時計代わりに使えるなど、色々つまらない洒落を披露していよう。<br />
エンターテイメントという綺麗ごとではない。全ては己の利益がために行っているだけ。<br />
<br />
ユーザーにとって、エレ糞は目覚まし時計だろうか。動物の物真似の道具であろうか。そうした玩具として用いるためにエレ糞を購入したのではあるまい。ひとえに音楽のために購入するわけである。<br />
多様なる機能、考えてみれば殆ど用いないものもあるはずだ。それもこれも、デモンストレータの仕事を増やすための手段に過ぎない。<br />
かくして、普通の神経を抱きし者達はヤマハから離反してゆくわけである。<br />
<br />
<br />
ステージアになり、何故タッチパネルになったのか。<br />
タッチパネルの操作の自慢をするため。そうした自慢の仕事をつくるため、ただそれだけだ。<br />
実際、ヤスヤは調子に乗ってタッチパネルの操作自慢をしているではあるまいか。<br />
もしも、やりやすい操作にしてしまうと、デモンストレータは仕事がなくなってしまうのだ。<br />
デモンストレータはヤスヤに限らない。数多に散らばっているはずである。<br />
そうした人々の世話のため、今日もエレ糞は複雑なる機能を維持し続けねばならない。如何なる批難を浴びようが、複雑怪奇で多種多様なる機能を維持し続けねばならない。<br />
そういう、非常に悲哀なる運命に立たされているのが今日のエレ糞なのである。<br />
<br />
<br />
捨て字亜、何が変わったのだ。<br />
複雑なる操作は相変わらず。既存のデータの依存症も一向に治らない。<br />
<br />
プリセット音色は充実した。騙されてはいけない。<br />
何故、70年代の音色は是、60年代のロックは是、と、一々指定せねばならないのだ。<br />
60年代のロックはこれと言う決まりは無い。<br />
偶々そういう風潮が在っただけであり、60年代のロックであってもシンセドラムキットを用いるのは大いに許されてしかるべき。それを、ヤマハは許さない。実に狭い感覚であり、開いた口が塞がらない。<br />
かくのごとき狭苦しい感覚により、音色が増えるに反比例して音色のバラエティが減少するという皮肉なる現象が生まれることになる。<br />
<br />
<br />
この、捨て字亜自慢の多様なるプリセット機能、基本レジストもデモンストレータの仕事を増やすための手段に過ぎない。ユーザに対する思いやりなど1%もない。<br />
ここに登場するが鷹野雅史。これの仕事を増やすためだけに基本レジストは存在している。<br />
「こんな基本レジストで、こんな演奏ができる」ただそういう紹介の仕事を増やすためだけに存在しているのみ。<br />
<br />
思えば、ELになり、何故かL.K.が全くならない複雑怪奇なるイントロ・エンディング機能が登場した。これは、この鷹野の馬鹿の製作によるものらしい。<br />
筆者は察知した。この馬鹿の仕事を増やすためにこれほどまでに呆れるばかりのイントロ・エンディング機能を搭載したのかと。<br />
この機能、鷹野の馬鹿にしか扱えない。この馬鹿のためだけのもの。<br />
何故一般ユーザーに強要する。己独りが使っていれば良いだけだろうが。<br />
<br />
このイントロ機能をなくすと、機能自慢が出来なくなる。<br />
イントロ機能を用いてかくのごとき表現ができると言う自慢が出来なくなる。<br />
そのためだけにある機能と観てよかろう。<br />
<br />
ELのお蔭で、即興演奏は非常にやりづらいものとなった。<br />
グレード試験の即興が流行らないのは、ひとえにイントロ・エンディングのせいである。何故もっと一般ユーザのことを考えない。<br />
驚くことに、何故か講師はイントロはL.K.のみにて演奏するものと考えているのだ。<br />
U.K.のみにて演奏すると間違いなく注意を受ける。<br />
UKにて演奏する所以は、イントロを用いるとL.K.が一切発音しなくなるから。その意義を講師は理解せんとしない。<br />
<br />
<br />
鷹野のデータ、一度振り返ってみよ。<br />
プリセット音色ばかりであろう。<br />
音色作りに長けているのか。それは断じて違う。<br />
<font size="4"><span style="font-size: large">プリセット音色が鷹野雅史のために存在しているからプリセット音色のみにてデータが作られるわけである。</span><br />
</font>云ってみれば、現在のエレ糞のプリセット音色、基本レジストは、全て鷹野雅史専用の音色であり、本来は、鷹野ご用達の音色にすべきなのである。全てユーザーに位置づけるものであり、本来はプリセットと言う位置づけにすべきではないのである。それをしないのは、機能自慢の仕事を維持し続けるため。筆者の案がまかり通ると、鷹野のバカは職を失うわけなのである。<br />
<br />
<br />
他にもデモンストレータはあまたに散らばっている。<br />
デモンストレータの層が肥大化しすぎて一般ユーザに優しい手を差し伸べられないのであろう。かくして、一般ユーザにばかり負担を強いられることになるわけである。全てはヤスヤ、鷹野を初めとするデモンストレータのせいだ。<br />
<br />
演奏はできるわけであり、わざわざそうしたセコイ手段を用いずとも、普通に演奏家、ひいてはプレイヤーとして食っていけるようにも考えられまいか。何故まともに演奏を以て、根本的実力を以て勝負しないのだ。音楽界に戦いを挑まないのだ。機能関係の仕事を失ったところでそれほど路頭に迷うことは無いはずだ。何故だ。<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">まともに演奏一筋にて勝負できないからセコイ手段に頼るのだ。</font></span>もっと云えば、ヤマハ以外の外の世界、普通の世界にて対抗できないためにそうした手段に頼らざるを得ないのだ。<br />
<br />
そうした人種を一流のエレ糞・エンターテイナーと位置づけ、勘違いせしめた尚美学園はその時点にてA級戦犯に位置づけ、死刑にすべきなのである。<br />
<br />
<br />
機能についての批難の風潮は相変わらず。<br />
何故受け入れられないのか。茲に疑問を持ってはいけない。もう少し先の視点を持つべきである。<br />
何故かくも不満のある機能に依存し、大御所を気取らんとするかという視点が大切である。<br />
答えは簡単で、単に大御所を気取りたいから、多機能についての批難を展開するわけである。下記に挙げた英美翁を初めとする使い古しのポンコツ爺や達、バカさんを初めとする経歴の無駄に長い人達は。<br />
多機能についての批難をすると、ユーザーから「流石大御所の見解は違う！」と憧れの眼差しを受け入れられよう。その打算のために批難をするわけである。正義の心など微塵も無い。そこにあるのは目立ちたい、偉く見せたい、そうした自己中心的思考、とんだ自己顕示欲のみである。<br />
そんなこんなで巧く廻っているのがこの世界なのである。<br />
本当に多機能についての批難をする気があるならば、どうして口先にて終わらせず、幾ばくかでも行動に表さんとしない。何故お決まりの批難を展開させるだけ展開して実際に態度にて表さんとし、受け入れんとしない。<br />
<br />
<br />
エレ糞の機能がややこしいのは風潮如何ではない。<br />
ただ、デモンストレータを失職させないためだけに複雑怪奇なるものとなっている。<br />
今もヤマハに食いつくベテラン達は、大御所気取りをしたいため、機能に頼らないことで憧れの眼差しを受けたいために口先だけの批難をいい気になってしているに過ぎない。<br />
<br />
そうした特定の内輪の身勝手さ加減のため、普通の神経を有した、もっと有能なエレ糞好きのプレイヤーが離反してしまったという現実。如何に捉えようか。<br />
酷いと見るか、筆者のこじ付けと見るかは完全に読者の自由ではある。]]>
    </description>
    <category>電子風琴白書</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E7%99%BD%E6%9B%B8/%E3%83%87%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%84%8F%E7%BE%A9%E3%82%92%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%97%E3%81%A6</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:49:15 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">bokumetu43.blog.shinobi.jp://entry/11</guid>
  </item>
    <item>
    <title>STEGEA　何が変わった？？</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>何故何も変わらないのか。<br />
それはこれから挙げる者達に原因がある。<br />
<br />
以下考察してゆきたい。</p>]]>
    </description>
    <category>電子風琴白書</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E7%99%BD%E6%9B%B8/stegea%E3%80%80%E4%BD%95%E3%81%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%9F%EF%BC%9F</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:48:31 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">bokumetu43.blog.shinobi.jp://entry/10</guid>
  </item>
    <item>
    <title>「弾かせて頂きます」という謙虚さを？　瑛美翁よ、おまえナメとんのか！！</title>
    <description>
    <![CDATA[エレ糞は、来年にて生誕50周年を迎えるという。<br />
何とも盛り上がりに大いに欠ける50周年になりそうな気配で、節目でもあるはずの年だというのに、悲しい限りである。<br />
<br />
月刊エレクトーン（以下、月エレ）では、平成20年2月号より、古参の所謂大御所を所かまわずかき集め、創世記の思い出を語らせている。<br />
全く進歩の無い祝い方であるが、中には川村江一・江川マスミ（芥川　眞澄、芥川也寸志の第3夫人）といった、今は余りお目にかかれない面子も登場する。<br />
<br />
<br />
第一弾が、道志郎と齋藤瑛美で、こちらは、二人による対談形式となった。<br />
基本的に、筆者はこの2名に対し、余り存在意義を感じない（というよりも、そもそも余り好きではない）。名前に好感がもてない。瑛美と書いて「ひでみ」と読ませんとするなど、感覚が悪いにも程がある。<br />
アレンジにしても、日野正雄師や田代雅士師のほうがまだ面白みを感ずる。<br />
「そこに居るだけでありがたい存在」という声がある。篠沢秀夫教授にはそれを感ずるが、この2名には筆者は特にそうしたありがたみを感じない。<br />
やはり「面白いアレンジ」と考えるところの上記2名の方にまだそうしたありがたみを感ずる。<br />
<br />
<br />
道志郎はエレ糞の世界に於いて最長老とせられる。別にそれほど驚愕すべきことでもない。<br />
昭和2年生まれ、やうやく80歳に達したという若さである。<br />
嘗ての、江戸落語の長老たる6代目三遊亭圓生、8代目林家正蔵（後の彦六）、往時の俳優界の名優、志村喬や宮口精二らと比較するに、親子ほどの年の差がある。<br />
筆者の挙げる2名となると、更に若手となる。<br />
<br />
<br />
内容は、「エレクトーンの歴史」（平成6年8月、尚美学園刊）とほぼ同一で、何の斬新さも無い。<br />
中には為になる箇所もないわけではないが、やはり昔からの持論そのままであり、何の進歩も無く、全く意義の無いコンテンツになってしまっている。<br />
<br />
「今のエレクトーンは、機能に頼りすぎ」<br />
「機能が多すぎてやることがわからない」<br />
「オルガントーンをもっと大切に扱え」<br />
などなど。<br />
<br />
<br />
<br />
そんな中、激しく憎らしい発言を見つけた。それが茲に紹介する、齋藤瑛美翁の戯言である。曰く、<br />
<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">「今のエレクトーンは、色々な音色が予め用意せられているからか、エレクトーンの子は行儀が悪い！<br />
『蓋も閉めないのか？！』と学生を叱っている。<br />
『弾かせて頂きます』という楽器に対する謙虚さがないと。造音の手間をかけないせいですかね」</font></span>と。<br />
<br />
更に、当該翁、かく発言し続ける。曰く、<br />
<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">「今のエレクトーンはメカに助けられている気がする。<br />
もっと筋肉を動かし、汗をかいて音楽やらないと、エレクトーンは生き残っていけない気がする」</font></span>と。<br />
<br />
<br />
<br />
よくぞ平気な面を提げて、寧ろ大御所気取りで好き勝手に貶してくれるものである。時代錯誤も大概にせよと物申したい。<br />
「エレクトーンの子は行儀が悪い！」のところ、<b>わざわざ感嘆符を用いている</b>ことに、筆者は<b>更なる憤りの念</b>を覚える。<br />
<br />
「弾かせて頂きます」なんて、どこの馬鹿がそんな愚行をとろうか。どうして一々「弾かせて頂きます」と思わねばならないのか。<br />
一々お辞儀をせねばならないのか。<br />
全く余りの馬鹿馬鹿しさに反吐が出放題だ。こんな機械にお辞儀をしていたら、周りから「現実との区別がついていない！」と安田病院逝きではあるまいか。大御所気取りが、何と言う勘違いの感覚を教え込む。<br />
<br />
そんなに馬鹿らしく思うならば、一々こんなブログに物申すなよと思われようが、余りの時代錯誤も甚だしい言動に腹立たしさを覚えると共に、一抹の虚しさを感じたため、こちら「嫌い」のカテゴリにて大いに物申させていただくと言うわけである。<br />
実際、この発言を真に受けて手持ちのエレ糞にお辞儀をするようになったという馬鹿・ユーザーが存在するのだ。<br />
そうした態度をとっていることをブログにて一々自慢する始末。あなくわばらくわばら。<br />
<br />
<br />
<br />
何が腹立たしいかと言うと、エレクトーンの子が行儀が悪いとしているところ。<br />
その原因として、「色々な音色が予め用意せられている」ことを挙げている。これがまず<b>おかしい</b>。<br />
<br />
色々な音色が予め用意せられていることが、どうして行儀が悪いことの原因につながるのだろうか。<br />
<br />
行儀を悪くさせているのは、間違った娯楽性を行わせているヤマハであり、アイドル気取りのプレイヤーであろう。<br />
コンサートにおいて、関係者全員が「星の王子様」の振り付けを行っていれば、行儀は悪くなろう。<br />
<br />
困り者なのが、近年、ふって沸いて出てきた「<span style="font-size: large"><font size="4">うにとろプロジェクト</font></span>」。<br />
富岡ヤスヤが率いている、所謂ティーンズを所かまわずかき集めた丸で方針・信条の感ぜられない集団だ。<br />
このうにとろとやらの面子の評判は頗る悪いと聞く。<br />
「プロのプレイヤーに認められた」という奢り高ぶりがあるからか、態度は果てしなく高慢で、ユーラシア大陸よりも大きく、裏方のスタッフに対する接し方は誰にも止められないほどに劣悪だと言う。<br />
<br />
演奏能力？あるわけがない。このうにとろは、「下手糞だけれども一所懸命やっている」ことを売りにしている。<br />
富岡ヤスヤによると、うにとろの重要なるポイントは、「一所懸命さ」にあるという。能力よりもまず一所懸命さにあるとし、この一所懸命さがエレ糞の世界の活力の向上につながるのではと考えているようである。<br />
<br />
この「一所懸命さ」というのは非常に曲者。こんなものでプロが気取れるならばプロのプレイヤーは氾濫してそれこそヤマハの世界はどこの音楽家たちからも相手にせられなくなろう。一所懸命さを駆使してやってゆけるのはグレード6級まで。6級と言うと、がんばれば誰でもとれる、それこそ2週間の取得も夢ではない、丸で価値の無いものだ。<br />
<br />
情熱なんて、聞こえはよいが、演技次第でどうにでもなる。情熱を、貢献如何の基準にしてしまうと、そのうち、見境がつかなくなり、取り返しのつかない事態に陥ろう。<br />
<br />
<br />
うにとろの勘違い十代集団は、「私たちは下手糞ながらも誰よりも情熱を絶やしていない！エレ糞の世界の発展のため、誰よりも誠意を尽くしている！」と考え、ついつい裏方のスタッフに対して横柄になってしまうのであろう。<br />
これでは、いつまでも音楽界から「音楽だ！楽器だ！」として認められることはなかろうし、発展するとしても一時的なものにしかならない。<br />
<br />
エレ糞の場合、世間に認められていないことが災いし、「我々は下手糞ながらも世間にエレクトーンの素晴らしさを広めんと必死なんだ！」という傲慢なる使命感が宿ってしまう。<br />
<br />
<br />
うにとろの香具師たちは全くの度素人。JOC出身と言うこともないし、コンクール受賞経歴すらない。<br />
下手糞なのが第一条件という風潮がある。風潮と言うよりは、規則と言うべきやも知れない。<br />
うにとろで礼儀作法等が教え込まれればよいのであろうが、残念ながら、そこで得るものはというと、下手糞でも情熱ありげな態度をとれば、簡単に舞台に出られるんだ、ヤマハの世界はそれほどまでに甘っちょろいんだという非常に悪い意味での「遊び心」が得られることになる。<br />
<br />
そうした面子が、貴様の教鞭の取る所の徳島文理大に流れ込んで居るのではなかろうか。<br />
いきなり「行儀が悪い！」などと、全国がそうであるかのような発言をせられて不愉快至極だ。<br />
全国に刊行せられることになる誌面上にてそのような発言しているところから、全国がそうであると思い込まれておいでであろう。<br />
<span style="font-size: x-large"><font size="5">アフォか</font></span>というのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
瑛美翁、「エレクトーンの子は行儀が悪い！」と、如何にもエレクトーン使用者の行儀がなっていないような発言をしている。<br />
エレクトーンの使用者に偉そうに物申す前に、<span style="font-size: large"><font size="4">貴様の身近にあるエレクトーン関係者の行儀とやらを直さねばなるまいか</font></span>。<br />
<br />
<br />
ヤマハ音楽教室の講師陣は、非常に口喧しく、仕事がしにくいと技術屋は口をそろえて言う。<br />
先述の岩内佐織師は、華奢なる体型にも関わらず、荷物運びや機材準備の手伝いには事欠かないという。<br />
中途半端な位置づけの講師陣が最も厄介とのこと。<br />
<br />
<br />
うにとろは礼儀作法がまったくといってよいほどに整っていないと記した。<br />
JOC出身者にもそのような傾向はありやしまいか。<br />
ここの面子は、子供時代からプロの位置にある。<br />
基本的に、子役出身者と言うのは、プライドがWTC並みに高いと言われる（吉田清、平成13年の著書）。<br />
子供時代から、裏方の面倒が丁重に入ろう。子供だからと、裏方は人一倍甘くなろう。<br />
子供時代に丁重なるスタッフの面倒が当たり前のごとく入る。子供時代に植えつけられたイメージと言うのは非常に心の奥底に浸透している点を前述したことと思う。<br />
大人になり、裏方のスタッフの対応が少しでもぞんざいになるとそれだけでご立腹状態になろう。<br />
芸の世界に於いては、芸暦順に上下関係が決まることになる。子供時代からプロとして活躍してきた香具師たちは、芸歴が古いばかりに、年齢で言えば父親ほどの齢に当たるものに対してもため口で、非常に尊大なる態度をとってしまいがち。<br />
外の世界からすれば、当該尊大なる態度をとっているプレイヤーの感覚にこの上ない疑問を覚えることになろう。<br />
ヤマハの世界に於いては、当該プレイヤーは古い芸歴であるばかりに、正しい態度となってしまう。<br />
<br />
もちろん、人は十人十色である。上述の岩内師もJOCだ。例外はあるにせよ、J専出身にて、そのままの形でヤマハに居残り、いい気になって芸歴の古さを武器に尊大なる態度をとっていい気分になっている風潮はなかろうか。1級取得者となると、以下略だ。<br />
<br />
<br />
デモ上がりの勘違い森脇顔のような系統も然り。成金状態で、人気も高い、ヤマハから「プレイヤーと認められた」という誇りもある。富岡ヤスヤ・鷹野雅史とは一味違うという奢りもある。人気も尋常でないくらいに高い。態度は当然悪くなる。寧ろ、これほどの人気者になると、態度の悪いことがある種のステータスとなってしまう。<br />
どんなに態度が悪くても、憧れのプレイヤーのためならと、遠方から多くの者がレッスンに詰め掛け、コンサートや公開講座を追いかける。<br />
<br />
音楽家、芸術家というべきか、かかる人々は類い稀なる才能、感覚を持ち合わせているばかりに普通の接し方ができない。クラッシックの音楽家達の生涯を紐解くに、大抵そのような内容になっている。態度が悪いのは我慢し、そこから究極のセンス、人気者の才能を学び取らねばならないと必死になろう。<br />
<br />
<br />
<br />
態度の悪い香具師たちは、使用者に限らず、否、むしろ、<span style="font-size: large"><font size="4">プロの現場にて活躍する香具師たちにこそ警告すべきもの</font></span>ではあるまいか。<br />
<br />
我々一般の使用者というのは、どうしても上を参考にしてしまいがち。当然であろう。トップのことを信用するものであり、一々批判能力など有していられない。生計を賭けた勉強という形で演っているのではなく、娯楽気分であり、そこまで真剣に善悪を判断していられない。<br />
<br />
大人ならば多少の批判能力は持ち合わせられても、幼少年となると批判能力などとても持ち合わせていられず、トップの言動をほぼそのままの形で信用してしまう。結果的に、態度の悪い一面を「格好良い」と勘違いし、そのまま徳島文理大に流れ込んでいると言う構図はなかろうか。<br />
<br />
瑛美翁のレッスンを受けに大学に通う者は、プロ志望の者も多く存在しよう。森脇顔の態度の悪さを「格好良い態度」と勘違いしたままに入学してきたのであれば、行儀が悪くて当然と言えよう。<br />
<br />
<br />
<br />
裏方のスタッフと言うのは、コンサートを行うにあたり、不可欠の存在だ。もっと謙虚に扱わねばならない。それが芸歴が古いからだの、ヤマハに「プレイヤーと認められた」からだの、人気が絶大だからだの、スタッフに対して尊大なる態度を以て接する理由はどこにも無い。<br />
外の世界では、音楽家達は非常に裏方のスタッフを大事にしている。見えないところで非常に謙虚に接している一面がある。<br />
<br />
<br />
思えばバカさんも頗る行儀が悪く、よくよく考察してゆくに、人間的魅力のかけらもない。人前では、人生論（殊に母親への愛）や神道なんてものをさも人一倍理解しているように語り、庶民派を気取る。然る中、母親の喪中の手紙の裏に結婚報告をする有様。関係者はそれで「おめでとう」「お幸せに」と浮かれる有様。<br />
こちらが疑問を呈すると「あなたは感覚が狭い」「冗談がわかっていない」と愚弄三昧。<br />
<br />
こんなことで、どうやってエレ糞に関わる香具師たちの行儀を正せと言うのか。<br />
<br />
<br />
<br />
一般の使用者に物申す前に、<span style="font-size: large"><font size="4">プロ達の</font></span>、殊に<span style="font-size: x-large"><font size="5">勘違いのプロ達の行儀を何とかせよ</font></span>というのだ。<br />
もちろん、誌面上にて格好つけて物申すのではなく、<b>人の目の行き届かないところで勝手に物申しておけ</b>と言うのだ。<br />
そうしてから、お上（カミ）の行儀作法が完璧に整い、その上で我々使用者に物申したいことがあれば大いに物申せと言うのだ。それならばまだ茲まで瑛美翁に憎悪感を抱くことは無い。<br />
<br />
勘違いが酷すぎるのだ。プロ達になると、途端に物申せないのか。物申すと貴様の立場はなくなるのか。<span style="font-size: large"><font size="4"><b>貴様の権力はその程度の矮小なるもの</b>か</font></span>。<br />
<br />
<br />
富岡ヤスヤにしても、エレクトーンを使って拳銃の音を出すだの、タイマー代わりにするだの、「100万円もするのだからそれくらいのことをしなきゃ」と言ってエレ糞を玩具扱いする有様。そうした態度がそもそも「行儀が悪い！」とは言えまいか。トップの、プロのかかる勘違いの言動を力尽くででも撤廃しないことには、瑛美翁のいうところの「行儀」には永久に改善の兆しが見られまい。<br />
<br />
「100万円もするのだから云々」と言うのならば、そうした<span style="font-size: large"><font size="4">余計な機能を無くし、<b>10万円に下げてみせる</b>のが本来のあり方ではなかろうか</font></span>。<br />
<br />
使用者と言うのは、タイマー代わりに用いんとして100万円などはたかない。タイマーにはちゃんとしたタイマーを用いる。用品店に赴くと、無料でタイマーを差し出してくれるところもある。<br />
エレ糞には音楽を求めて購入するのだ。<br />
<br />
<br />
瑛美翁は、「蓋も閉めないのか」と学生を叱ると言う。<br />
蓋を閉めないのは、次のレッスンの子が控えているから閉めないのだ。今のエレ糞には蓋なんてないだろ。<br />
<br />
捨て痔亜というのは、非常に曲者の一面がある。当初、可搬性を売りにしていた。<span style="font-size: large"><font size="4">歴代のエレ糞モデルの中で最も壊れやすくできているのだ</font></span>。無闇に蓋を動かすと、エレ糞の寿命は端役尽きてしまうことになり、蓋の機能は瞬く間に消失してしまう。<br />
<br />
当該学生は、行儀が悪いから蓋を閉めないのではない。捨て痔亜がどうしようもなく脆い設計のため、無闇に手が出せないのだ。<br />
そのことをもっと考え、学生に物申す前にヤマハ音楽振興会に物申すべきであろう。何を考えているのだ、この翁は。<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">最も腹立たしく思う箇所は、<b>題名にも挙げた箇所</b>だ。</span><br />
</font>「弾かせて頂きますという謙虚さがないと」と当該翁はのたまい、その謙虚さに欠ける理由として、「造音の苦労を知らないこと」としている。<br />
<br />
<br />
要するに、エレ糞に関わる香具師たちには謙虚さがないということか。<br />
エレ糞の使用者には楽器に対する謙虚さが無い、エレ糞に対する思いやりがないということか。<br />
造音の苦労を知らないのがいけないのか。<br />
<br />
何と言う時代錯誤の感覚であろうか。未だにこんな感覚を引きずっている瑛美翁に筆者は大いなる憤りを感ずる。<br />
<br />
エレ糞に対する謙虚さ、思いやりを失わせしめた者はどこのどいつだ。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">ヤマハ関係者、ヤマハ音楽振興会ではなかろうが。<br />
</span><br />
<br />
<br />
</font>エレ糞は、一台買うのに最低100万円を要する。<br />
初心者モデルだと、安価で買えるのであるが、取扱店はしきりに上位モデルを勧めてくる。<br />
少しでもグレードを進級させると、上位モデルでないと絶対に学習できないシステムになっている。<br />
<br />
楽譜を出版する側も、楽曲の作編曲を担当する者も、上位機種でないと明らかに弾きこなせない楽曲を差し出してくる。<br />
その典型例がバカさん。<br />
これなんか、EL９００のホリゾンタルタッチを駆使しないことには絶対に弾きこなせないような曲ばかり提供してきた。<br />
ホリゾンタルの教則本を出し、大いにエレ糞の世界を沸かせた。<br />
<br />
使用者側は、やはり上位機種の優位性を感じ取り、必然的にエレ糞の購入に最低100万円を費やすことになる。<br />
<br />
<br />
エレ糞は、モデルチェンジが凄まじく早い。<br />
FS/FX（以下「FX等」と称す）の時代になった昭和58年以降はそれは酷かった。<br />
<br />
FX等の場合は、旧来のE型、D型で何とかごまかせる楽曲が多かったが、昭和62年、HS/HX（「以下「HS等」と称す）では、リズムパターンプログラム（RPP)が導入せられ、愈々購入しないことにはどうにもならなくなった。<br />
<br />
その後、平成3年にはEL二桁モデルが登場。９０は、125万円もの大金を費やさねばならなかった。<br />
そのEL二桁シリーズは誠にタチの悪いモデルであり、HS等との互換性がまったく図られないものとなった。<br />
その不便さは、今もなお尾を引いている状態である。<br />
初期の頃は、EL二桁に関する楽曲に、余り良いものがなく、HS等を支持するものが多かった。<br />
平成5年になると、そろそろ作編曲者がEL二桁に慣れてきたこともあり、HS等に陰りが見え始めた。HS等の放つ音色は、EL二桁と比較していかにも陳腐であった。<br />
<br />
互換性が無く、折角HS等にはたいた大金も台無し。<br />
丸々買い替えを行わねばならない事態となった。<br />
<br />
その悪態は、平成10年にまた起こる。2月であったか、「起こらない」としてきたはずのモデルチェンジが行われた。<br />
営業スタッフは、「起こらない」「起こりえない」と散々断言してきたモデルチェンジがだ。<br />
EL3桁の登場である。EL二桁との互換性を重視したと言うが、基本的にバランスが異なり、EL二桁にて培ってきた好きな音色は台無しに。<br />
<br />
互換性というと、一見ありがたく思うが、互換性を大事にしてきただけに、絶対に使わないプリセット音色が凄まじく増え、どれがどれだかさっぱりわからない状態になった。元は変わっていないのに、音色を増やしてしまい、一つ一つの音色は劣化してしまった。<br />
正確に言うと、新たなる音色はそれなりに良くできているが、二桁から引き継いだ音は明らかに劣化している。新たなる音色を良い音色に聞かせるために、二桁から引き継いだ音色をわざと劣化させているのである。酷い話だ。<br />
それならば互換性のありがたみが無い。<br />
<br />
<br />
ホリゾンタルタッチと言う新たなる概念が導入せられ、ヤマハは「新たなる奏法を目指して」と大々的に張り切っていたが、それができるのは９００以降の上位モデルだけだ。必然的に９００を買わねばならない状況に陥る。<br />
<br />
EL三桁は、モデルチェンジは起こりえず、マイナーチェンジの時代になると営業スタッフは大々的に宣言していた。<br />
<br />
その6年後、平成16年、STEGEA（以下、「捨て痔亜」と称す）が登場。<br />
「これからはマイナーチェンジの時代に」「買い替えの負担はかけさせません」と大々的に宣伝するヤマハ。<br />
逆に言えば、「是まではフルモデルチェンジの時代」「買い替えの負担はかけさせます」。<br />
<br />
HS等の時代に大問題になった互換性のなさ、買い替えの負担を使用者に強いることとなった。<br />
<br />
EL三桁では、互換性というものが今一つぱっとしないモデルチェンジをさせた。<br />
次の捨て痔亜では、フルモデルチェンジだ。当然音色は良くなっているものと期待するが、全く変わっていない。<br />
この捨て痔亜の欠陥については後述したい。<br />
<br />
茲では、瑛美翁ののたまうところの謙虚さの欠缺の原因について、筆者の考察するところ、思い当たる箇所を述べてみたく思う。<br />
<br />
なぜ、エレ糞に対する謙虚さがなくなってしまうのか。<br />
それは、<span style="font-size: large"><font size="4">モデルチェンジが凄まじく早く、愛着が沸く前に買い替えをせねばならないから</font></span>である。<br />
<br />
100万円もの大金をはたいて買ったエレ糞だ。本来ならば、どの楽器使用者よりも愛着が沸き、謙虚さは起こりうるはずなのだ。<br />
それが、どうして謙虚さがどの楽器よりも欠如しているのか、もっと瑛美翁はその原因となるところを考察すべきであり、その<span style="font-size: large"><font size="4">謙虚さの欠缺と言う結果だけをみつめてあれこれ一般の使用者に無理難題を強いるべきではない</font></span>。<br />
<br />
<br />
小熊達弥師は、自筆の研究論文「EL演奏表現に関する現状と諸考察」（平成6年発表）の中で、エレ糞の譜面の問題として、「原因としての音楽要素の把握」の欠缺を挙げている。<br />
筆者に言わせると、原因としてのエレ糞使用者の謙虚さの欠缺の把握すら為し得ていないように思える。瑛美翁の発言を考察するに、結果としての謙虚さの欠缺をひたすら批難しているように思えるというわけだ。<br />
<br />
<br />
<br />
100万円もするモデルを買ったは良いものの、4年、長くて6年・7年で買い換えねばならないものに対し、どうして愛着がもてようか。どうして謙虚さがもてようか。<br />
<br />
たった数年しか使わないエレ糞に対して100万円もの大金をはたくのだ。エレ糞使用者からすれば、「自分は僅か数年の為に100万円もの大金をはたいているんだ！」と傲慢な姿勢にならざるを得ないのは当然であろう。どうして非難せられねばならないのだ。<br />
<br />
一度エレ糞使用者がごとく、真面目にモデルチェンジに付き合えと物申したい。こんな異常なる商品のライフサイクルに付き合っていたのでは、謙虚さなんてとても有し得まい。僅か数年でおさらばするエレ糞に対し、わざわざ「弾かせて頂きます」なんて誰も思わない。<br />
「どうせ数年でおさらばだ」とあきらめの姿勢、弛んだ心を以てエレ糞に臨んでいるのが実際のところと言えよう。<br />
<br />
エレ糞の場合、グレード試験を受けるのに指定機種というものがある。大抵、というより、絶対にと言ってよいほどに上位機種が充てられる。<br />
できる限り最新のモデルを使用させたがる試験構成になっている。旧来の機種を使い続けては居られない状況に陥ってしまうのだ。<br />
<br />
EL以降になってから、譜面に付属する形でFDデータがある。EL3桁になってから、EL二桁のレジストデータは随分と劣化しているように聞こえるようになった。それだけEL3桁と言うのは素晴らしいモデルだからか。<br />
否、EL3桁が素晴らしいのではなく、EL二桁のレジストを劣化せしめるのである。そうすることで、EL3桁の音色が他のどのモデルよりも如何に秀でているか、そのように魅せるのである。酷い話だ。<br />
例を挙げると、バカさんのデータは、EL二桁にあった、アルバム「ストリングス・バラード」「オーロラに乗って」のデータはバランスが絶妙で単純ながらも良くできていたのに、「パーソナル　松田昌」のEL二桁のデータは、音色の出力がバカ大きく、バランスが酷いこと酷いこと。これではEL二桁を安心してはとても使えず、謙虚さなんて沸き得ない。<br />
<br />
EL７０というモデルがあった。ここの配布データは悲惨そのもの。<br />
明らかに手抜きばかりのデータが提供せられていた。<br />
<br />
EL９０を買わせるためにこんなふざけたデータを配布しているとしか思えない出来であった。<br />
<br />
<br />
エレ糞使用者は、他のどの楽器使用者よりも愛着があるはず。100万円と言う大金をエレ糞にはたくのだ。大事に使いたいという思いは誰よりもあるはず。エレ糞愛好者のブログを閲覧してみよ。エレ糞が買えた、上位モデルが買えたという喜びがどれだけ溢れ、大切に使いたいという思いがどれだけあることか。そうした愛着、謙虚さをつぶしているのはヤマハ音楽振興会だ。今正に貴様が取材を受けているところの馬鹿集団だ。<br />
茲が無闇にモデルチェンジを行うものであるから愛着なんて消失するのだ。<br />
次第に、エレ糞使用者は、「自分は僅か数年のために100万円もの大金をはたいているのだ」という怒りの姿勢になってしまい、瑛美翁の忌み嫌うところの所謂傲慢な姿勢のエレ糞使用者ができあがるのだ。<br />
僅か数年しか寿命の無い高額なるエレ糞に対し、「弾かせて頂きます」という姿勢を有する、有さしめる方がどうかしている。<br />
<br />
<br />
「弾かせて頂きます」という謙虚さが無いのは、貴様達プレイヤーではないのか。<br />
外の世界に認めてもらえないので泣く泣くエレ糞に頼りっきり。本当はエレ糞が大嫌い。<br />
どうしてエレ糞プレイヤーと言われる人々がヤマハ内部でしか評価せられないのか考えてみよ。良い音楽を提供しているならば、たとえ機械の上にて音楽を披露していても万人に認められて然るべし。エレ糞関係者は、（外の世界の）音楽家達はエレ糞の素晴らしさを理解せず、所詮は機械だからとして偏見を抱きすぎと真剣に思い込んでいる有様。<br />
プロに謙虚さをもたせずして、どうして一般の使用者に謙虚さが抱けようか。<br />
<br />
<br />
エレ糞使用者は、元来は謙虚至極。プレイヤーたちに対する接し方を考えてみよ。<br />
バカさんの取り巻き達の、執拗なるまでのバカさんに対する謙虚さには反吐が出る。<br />
冷静に考えれば直ぐにパチモノとわかる浅はかなる打算を虚偽と見抜けず、「マサさんに見習って」「マサさんの訓えに遵って」と張り切り、自らの夢をあちらこちらの人々に語りかけ、公開プロフィールに堂々と当該夢を宣言する有様。冗談ではなく、真剣にだ。その心酔っぷりには唖然とするほか無い。<br />
少しでも不平や批判を口にすると、途端に袋たたきにせられる。<br />
<br />
森脇顔の取り巻き達の謙虚さはもはや常軌を逸している。真剣に「格好良い」と崇め奉り、本来臨時記号が複数ある楽曲を嫌う者が、森脇顔のそれに関しては一所懸命に立ち向かっている。これのどこに傲慢さが垣間見られようか。<br />
<br />
<br />
「造音の手間をかけないからですかね」<br />
まったく、どこぞの脳味噌をひねり出せばこのような頓珍漢なる回答が出るのか理解に苦しむ。<br />
造音の手間なんて全く関係が無い。モデルチェンジの異常なる早さ、互換性の無さが全て悪いのだ。<br />
「～ですかね」と、ここだけ丁寧語を用いているのも実に嫌味たっぷりだ。<br />
<br />
<br />
瑛美翁は、造音の手間をかけないこと、沢山の音色が用意せられていることをエレ糞使用者の謙虚さの欠缺、行儀の悪さの原因に考えているようである。<b>大いなる勘違い</b>、<span style="font-size: large"><b><font size="4">嗚呼勘違い</font></b></span>である。<br />
<br />
<br />
沢山の音色が用意せられているならば、エレ糞使用者は、本来謙虚さがにじみ出ていないとおかしい。沢山の音色があることをエレ糞使用者は楽しみの一つとしているはずだからだ。エレ糞の魅力を語るに当たり、音色の多さは、必ずといってよいほどに出てくる。<br />
<br />
その沢山の音色の在り方が問題なのだ。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">使えない音色ばかり用意しているだろ。＞ヤマハ音楽振興会</span><br />
<br />
<br />
</font>よく、デモンストレーションにおいて、かかる発言を耳にしたことはあるまいか。曰く、<br />
「エレクトーンは、奥が深い！　ヴォイスエディット次第で、これほどまでに良い音色が出せる！」と。<br />
<br />
実際、その場でエディットをやってみせ、良い音色を出してみせる。<br />
出席者は、「奥が深い」とそのデモンストレーションに酔いしれてみせる。<br />
<br />
<br />
茲でお立会い。ヴォイスエディット次第で、これほどまでに良い音色が出せると言うのであれば、初めからその音色をプリセット音色として設定すれば事足りやしまいか。どうして、その「良い音色」を出すのに、一々ヴォイスエディットというものを経ねばならないのだ。素直にプリセット音色をそのまま用いることでよい音色を提供せよと言うのだ。バカかこのデモンストレーションは。<br />
<br />
瑛美翁の訓えに遵い、ヴォイスエディットを奨励しているのか。<br />
本当にそうだとしたら、齋藤瑛美は死刑決定である。忌忌しき事態であり、絶対に許すまじきことである。ヤマハの愚行を肯定し、使用者の在り方をヤマハと共に否定しているのだ。100万円も平気ではたかせておきながら、堂々と否定するとは、何と言語道断たることか。<br />
<br />
<br />
造音の手間云々を瑛美翁はのたまうのであるが、瑛美翁よ、貴様は、己の欲するエレクトーン、理想のエレクトーンとしていかなる形のエレクトーンを挙げていたのだ。<br />
<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">「EL10が欲しい」</font></span>などとぬかしていたよな（「エレクトーンの歴史」尚美学園、平成6年8月、30頁を参照してみよバカ）。<br />
<br />
音色は３つでよい。硬い音、柔らかい音、ボタンを押したら切れる音で事足りやしまいかと。何も考えないで音楽にのめりこめるようなエレ糞ができないものかとのたまうのだ。茲では、瑛美翁は寧ろ<span style="font-size: large"><font size="4">造音の手間を問題にしていた</font></span>。<br />
<br />
この月エレの対談に於いては、<span style="font-size: large"><font size="4">己の理想としてきた造音の手間の欠缺を問題にしている</font></span>のだ。何と言う自己矛盾であろうか。<br />
<font size="1"><span style="font-size: x-small">結局、造音の手間は必要なんじゃねえか。ざけんじゃねえよ。</span><br />
</font>年老いてしまって持論がよく思い出せないというならば、弟子の日野正雄もくたばったことだし潔く回線切って首吊って死ね。<br />
<br />
<br />
<br />
ヴォイスエディットの疑問に話を戻す。<br />
兎に角、一々エディットをしないことにはどうしようもなく使えない音色が200個くらい積まれているのだ。使えない音色に対し、愛着を抱く者など誰も居ない。まして100万円もの大金をはたいているのだ。<br />
<br />
捨て痔亜では、プリセット音色の充実を図ることを売りにしていたが、この辺りは、EL時代と何等変わっていないと言われる。何のためのモデルチェンジだったのやら。<br />
<br />
<br />
ヴォイスエディットにて問題が解決するならばまだよい。<br />
次のような台詞を聞いたことはあるまいか。曰く、<br />
「音色はプリセットにとどまらない。『ヴォイスディスク』で新たなる音色を！」と。富岡ヤスヤが良くやっていよう。<br />
そう、別売の「ヴォイスディスク」の宣伝文句だ。これを別売にすることで、エレ糞の音色に更なる世界観が広げられると錯覚せしめんと試みる。<br />
<br />
<br />
当然、当該別売のディスクには魅力的な音色が積まれている。別売による発売だ。当然であろう。<br />
他にも、電話のベルだの、ピストルの音だの、プリセット音色のエディットを以てしては到底出し切れない面白おかしいSEがあまたに積まれている。<br />
ヤスヤは、デモンストレーションの折、それらのSEを駆使したままごとを演っていたであろう。<br />
<br />
<br />
茲で、次のような疑問が沸きやしまいか。<br />
そんなに魅力的なヴォイスディスクを別売の形にて供給するのならば、<span style="font-size: large"><font size="4">「初めからそのディスクに積まれている音色をプリセット音色にて提供してくれれば良いのに」</font></span>とは思わないであろうか。<br />
<br />
ヴォイスディスクを魅力的に聞かせる為、プリセットの音色は劣化してしまってはいなかろうか。<br />
捨て痔亜のプリセット音色は、EL時代と何も変わっておらず、音色が増えた分、何が何だかわけがわからない状態になってしまっている。<br />
これでは、謙虚さなんて凡そ沸かない。沸くわけが無い。<br />
行儀が悪くなってしまうのも無理はあるまい。<br />
大金をはたいて、使えないプリセット音色を２００以上も用意せられるのであるから。<br />
<br />
指導者も、何故か「人にちゃんとした演奏を聴かせるにはヴォイスエディットを積極的にせねば駄目だ」とのたまう有様。<br />
プリセット音色を、プリセットの状態のままに使っては駄目だと言うのだ。<br />
そんなにプリセットがコンクールにて受けないというならば、プリセットはなくし、全てUSERヴォイスにし、全ての音色を０からつくる構成にしてしまえばよいのだ。<br />
<br />
<br />
EL９０発売時にも、そのような傾向があった。別売ディスクとして、「コンテンポラリー・ヴォイス」「オーケストラルヴォイス」というのがあったろう。<br />
付属のレジストデータを分析してみるに、殆どこの別売のディスクにてレジストが作成せられているのだ。<br />
特に酷ったのがFUNKY FOX。<br />
「USER」の音色は、殆ど「コンテンポラリー・ヴォイス」からのお流れだ。<br />
「Scandal」にでてくるSEは、「３２：SE３」という音色だ。それが主力的に用いられていあがる。<br />
<br />
そんなに別売のディスクが需要あるならば、一層のこと、別売ディスクの音色をプリセット音色にし、後のつかえない音色200個こそ別売の形で供給すべきであろう。<br />
<br />
何故、市販の付属レジストデータにプロテクトがかかっているのか。<br />
「著作権の侵害」とヤマハは回答しようが、大いなる虚偽発言。<br />
<br />
<span style="font-size: large"><font size="4">別売のボイスディスクを使いこなしている関係で、プロテクトがかかっていないと、<b>その音色ばかり使われて別売ディスクの需要がなくなる</b>と考えているからだ</font></span>。<br />
<br />
<br />
レジストデータは、酷くなってくると、外部のPC音源を用いている場合がある。<br />
「FUNKY FOX」や、そのユニットのピンのアルバムを紐解くに、明らかにエレ糞データの音色でないUSER音色があるのだ。<br />
その証拠に、このユニットは、どうもプリセット音色からのヴォイスエディットが下手糞な印象がある。<br />
別売ディスクや、外部のPC音源からの音色を調達しているからプリセット音色に正面切って向き合えないのだ。<br />
<br />
<br />
外部のPC音源を用いる方法を採るのはプレイヤー達にとどまらない。<br />
海外の違法サイトから全くオリジナルのヴォイスディスクを調達してレジストデータを作成するケースもある。<br />
<br />
こんな事件もあったようである。<br />
どこぞの地区のコンクールにおいて、外部のPC音源を用いる方法を採って全くオリジナルの音色を発表した出場者が居たと言う。<br />
審査員だったかが、「エレ糞の音でない！」と突っ込み、それが大問題となり、大層なる揉め事に発展したと言う。<br />
<br />
こんな事態になるのも、プリセット音色が余りに不便で使えないからであろう。<br />
<br />
<br />
<br />
ヤマハもヤマハだ。<br />
誌面にわざわざ引っ張り出し、もっともらしい発言の真意を如何に解釈しているのであろうか。<br />
瑛美翁の呈する問題点は、全てヤマハ音楽振興会が作り出しているように思えてならない。<br />
誌面上にて発言させることではなく、企業内部にて発言させることではあるまいか。<br />
<br />
ヤマハは、安心してエレ糞を嗜めない環境をつくりだしておきながら、瑛美翁にもっともらしい教育論を垂れさせ、使用者により一層の負担を押し付けようとは絶対に許せないことである。<br />
<br />
<br />
ヤマハは、これまでにもこのような創世記の面子を集めさせては尤もらしい教育論を垂れさせていた。ヤマハは何を思ってわざわざそのような教育論を垂れさせたのだ。<br />
<font size="4"><span style="font-size: large">使用者に一方的に礼儀作法を押し付けるのではなく、使用者が心から瑛美翁ののたまうところの謙虚さが抱ける、安心してエレ糞に嗜める環境づくりに勤しまんとする空気は無かったのだろうか。</span><br />
<br />
<br />
</font>なんだかんだ言ってヤマハは結局お金儲けにしか頭に無いように思えてならない。<br />
それで尤もらしい教育論を、創世記の面子に垂れさせるものであるからタチが悪い。<br />
<br />
<br />
瑛美翁や、道翁も、<span style="font-size: large"><font size="4">いいかげんヤマハの取材を受けるな</font></span>と物申したい。<br />
貴様達の格言、提言は、大切にせられているようで、一つも受け入れられては居ないではあるまいか。<br />
<br />
いつも同じような格言、提言を繰り返し提言しているだけ。虚しく当たり一面に叫び声が響いているだけの状態ではあるまいか。<br />
<br />
<br />
「メカに頼りすぎ」「汗を流し、筋肉を動かして」なんて、一体何年言っているのやら、EL二桁時代から言い続けているわけで、17年間は言い続けていることになる。17年もの間、何等問題は解決していないのだ。これだけ外部からうるさく言われているのに、ヤマハは何等解決の兆しを見出さなかった。<br />
<br />
メカに頼りすぎているのは、ヤマハであり、レジストデータを供給している側。<br />
何が「エレパソ」だ。これなんか、メカ依存の産物ではあるまいか。<br />
初心者向けの、「アラモード」も然り。<br />
XGなんて、調子に乗って用いているのは、プレイヤー（というか正式にはパフォーマー、スペシャリストと称せられる人々）の側ではあるまいか。プロの方が、一般者にメカに頼りすぎの風潮を与えたのではあるまいか。<br />
<br />
<br />
瑛美翁に物申しておく。「汗を流し云々」とのたまうが、その割には、あの「Dance with Me」（昭和53年）の糞アレンジ8曲は何だ。<br />
単に左手は八分刻みのみ。オペラ「魔王」のピアノ伴奏のつもりか。<br />
あれじゃあ幾ら筋肉を動かしても汗なんて流せないし、後で得られるものは虚しさのみ。<br />
こんなの<font size="5">０</font><span style="font-size: large"><font size="4">点じゃ</font></span>、<br />
<font size="5">０</font><span style="font-size: x-large"><font size="5">点じゃ。</font></span><br />
<br />
<br />
<br />
創世記の面子を呼び、使用者に所謂礼儀作法の徹底を強調しても、根本が変わらないことには、ヤマハの体質が変わらないことにはどうしようもないわけで、相変わらずのエレ糞の惨状を鑑みるとき、筆者は、瑛美翁・道翁の存在意義に果てしない疑問を感じ、「そこに居るだけで」という理由から何の有り難味も感じないわけである。そこに居られることで残る思いは、「だからなに？」という果てしない虚しさのみ。<br />
<br />
<br />
何だか、この辺りは、「創世記から携わっている」という理由だけでちやほやせられているように思えてくるのである。<br />
「野村克也夫人だから」という理由で注目を浴びた野村サッチー、「スカルノ大統領第3夫人」ということで大御所気取りのデヴィ夫人のようなものではあるまいか。<br />]]>
    </description>
    <category>電子風琴白書</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E7%99%BD%E6%9B%B8/%E3%80%8C%E5%BC%BE%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%A6%E9%A0%82%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%AC%99%E8%99%9A%E3%81%95%E3%82%92%EF%BC%9F%E3%80%80%E7%91%9B%E7%BE%8E%E7%BF%81%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%8A%E3%81%BE%E3%81%88%E3%83%8A%E3%83%A1%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%81%EF%BC%81</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:46:09 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>エレクトーンとパソコン、何が出来るの？</title>
    <description>
    <![CDATA[<div class="entry_body">・・・<br />
<br />
こっちが訊きてぇよ。<br />
<br />
なにができんだよまったく。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
そんな意味不明の売り方をしているいとまあるならば、<br />
貴様の講座に出席している講師が、開講中、突然携帯が鳴ったのを「どうぞ、どうぞ」と媚びへつらって通話を許可するの、やめなさい。<br />
<br />
真剣に、というか、電話に出ていない連中が迷惑だろうが。</div>
<!-- 記事フッター部分 -->]]>
    </description>
    <category>電子風琴白書</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E7%99%BD%E6%9B%B8/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8C%E5%87%BA%E6%9D%A5%E3%82%8B%E3%81%AE%EF%BC%9F</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:43:32 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>「美人」の肩書きに「待った！」</title>
    <description>
    <![CDATA[<div class="entry_body">エレ糞の勘違いの娯楽化には呆れる他ない。<br />
<br />
エレ糞は、女性を陥れる娯楽化に固執してきた感があるが、<br />
どうも男性をも陥れる娯楽戦略に乗り出してきた感がある。<br />
<br />
その先頭をひた走る勘違いエセプレイヤーが、<a title="高田和泉" href="http://www.sankei.co.jp/enak/2005/feb/kiji/17takada.html" target="_blank">こちら</a>。<br />
<br />
<br />
まったく、これのどこに美人たる要素があるのかさっぱりわからない。<br />
<br />
「不細工」と少しでものたまうと、間違いなく<span style="font-size: large"><font size="4">ヤマハ関係者からとばっちりを喰らう</font></span>。<br />
「本人」ではなく、<span style="font-size: large"><font size="4">「ヤマハ関係者」</font></span>というのがミソだ。<br />
<br />
<br />
確かに、筆者のやっていることは、自分の意見を押し付けているともとらえかねまい。<br />
その意味では、この記事は不適切であろう。<br />
<br />
「人それぞれだ！！」という突込みがきそう。<br />
<br />
そう考える者に是非とも考えていただきたい。<br />
「感じ方が人それぞれ」というならば、筆者の「不細工だ！」という見解も肯定せられねばおかしくはあるまいか。<br />
<br />
「美人だ！」として筆者の見解を否定する者は、十分に自分の意見を押し付けては居まいか。<br />
<br />
こちらの考えも考慮せよというのだ。<br />
「人それぞれ」というのは、一見正論に思えて、結局は自分の意見を肯定させるためのごまかし文句に過ぎない。最も用いてはならない不適切表現であり、これこそ放送禁止用語に指定すべきだ。<br />
<br />
<br />
以下、茲に採り上げる人物を「ブス」と記してゆく。<br />
このブスは間違いなく然り。「美人」なんて賞してくれるのはヤマハ関係者だけであろう。<br />
こんなブスの写真集を「ほしい」とのたまうのだ。なんとおぞましき世界たることか。<br />
<br />
<br />
実際、平成14年のこと、EL900Bの発売記念ポスターにこのブスの写真が制作せられたわけであるが、糞婆に見えて仕方なかった。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">９００Bのポスター、撮り方下手すぎだろ。</span><br />
</font>確かにこのブスはブスだが、そのブスさ加減が目立ちすぎていて品も糞もなかった。<br />
<br />
これが、「あなたの考えはおかしい！」と揶揄せられる有様。<br />
ひどくなると、「そんな強がりを言って。素直にならなきゃ」と説教する者まで出る始末。<br />
<br />
<br />
筆者は、こんなブスの写真集や９００Bのポスターを頂戴するくらいならば、江頭２：５０と寺田体育の日のセックスビデオ20時間分を頂戴したい。<br />
<br />
<br />
どうしてヤマハこのブスを「美人プレイヤー」として売り出すのだろうか。<br />
森脇顔もそうであるが、ヤマハは余りに世間の感覚とずれこんではいまいか。<br />
森脇顔の場合、これ以前にいい顔の男性プレイヤーが居なかったのはある種的を得ているような気がしなくもないが、女性プレイヤーの場合、幾らでもこの程度の顔はあったはずであり、今でもごろごろ転がっているはず。わざわざこのブスを「美人プレイヤー」として売り出す意義はあるまい。<br />
男性のヤマハ関係者は、なぜか「美人だ！」「写真集がほしい！」と真剣にのたまうのだ。<br />
よほど女性に恵まれていなかったというのか。<br />
<br />
良い年齢をした中年男性に対し、ブスはHNやあだ名などでため口で、すっかりスター気取り。<br />
<br />
<br />
<br />
思えば、「美人プレイヤー」という肩書きほどくだらなく、的の外れたものはない。<br />
この手の肩書きを有する者は100％といっていいくらいに不細工である。むしろ、当該肩書きを有していない女性の方が何倍も美人であり、時々ものすごく歯がゆい思いに駆られる。<br />
本当の美人は、雲の上なのだ。<br />
茲に採り上げるブスが、調子に乗って距離を縮めんとため口にて接してきて男性達は簡単に騙される。<br />
<br />
「美人プレイヤー」の草分けといえば太田惠子が然り。<br />
世の男性、というかヤマハ関係の男性達は決まって「美人プレイヤー」「田中美佐子似」と崇め奉る有様。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">これほどの不細工は居ませんよあーた。</span><br />
</font>太田恵子は、写真写りでだいぶ得をしている。鈴木その子の先駆けだ。撮り方によっては80代のくそばばあに写っているときもある。よくみると、小じわがひどく、とても美人プレイヤーと呼べるものではない。<br />
こんな似非美人によくぞ「美人プレイヤー」などと崇め奉られたものだ。こんな不細工に騙されてきたというのだから世も末だ。<br />
これでは、エレ糞が世に認められなくて当然であろう。<br />
<br />
<br />
美人プレイヤーを名乗る似非プレイヤーに一言物申す。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">美人を名乗る暇があるなら、演奏・音楽を何とかせよ。</span><br />
<br />
</font>この太田惠子の、なんだ、LP「恵み色のメッセージ」？？！！<br />
<br />
これ、しょーもないねえ。<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large"><span style="color: #ff0033">嗚呼、<b>つまんねぇつまんねぇ！！</b></span><br />
<br />
恵み色の部分、マジックで塗りつぶして黒色にしてやったってんだよ！</span><br />
<br />
</font>何が恵み色だってんだよこの野郎！！<br />
ざけんじゃねえよ、即効ブックオフ逝き決定だよこの野郎！！<br />
<br />
「黒色のメッセージなんて受け取れません」って処分料75円取られちまったよこん畜生！！<br />
<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large"><span style="color: #ffffff">「恵み色のメッセージ」<b>0点</b>！！！！！</span><br />
もしも道端でコイツ見かけたら、バキュームカー使って思い切り糞の雨をかけてやれよ！！<br />
</span><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font>本題に戻る。<br />
茲に採り上げるブスであるが、これがまた本当にがさつ。<br />
音色がとにかく硬すぎ。<br />
あの、なんだ、大学時代の大失恋を描いた曲「エレジー？」<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">大爆笑したね！あっぱれだ！</span><br />
</font>悲しみどころか、ものすごいパワーが溢れる名作だ。<br />
特撮の主題歌として歌詞付きで送ってやればいいんじゃねえか？<br />
<br />
ギターが硬すぎて悲しみが少しも伝わってこないし、ものすごくストレスがたまる。<br />
眠気が襲ってこない代わりに、ストレスがたちこめる。<br />
<br />
あのギターは、テクニック自慢しているようにしか思えない。<br />
<br />
そもそも、失恋を題材にした曲をコンクールの出場曲にするっておかしくなかろうか。<br />
それで賞を獲得してんだろ？<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">大失恋したらとてもそのような気力は生まれてこないと思うんですがねぇ。</span><br />
<br />
</font>我々一般市民、筆者がごとき参加賞どまりには到底理解できない。<br />
大失恋をネタに作曲し、それで賞を獲得できたのならば、大いに幸せであり、悲しむことも何もあるまい。そのがさつな神経に拍手喝采するのみ。<br />
<br />
<br />
このブスの気に入らないところ。<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">お笑い好きを気取るところ。</span><br />
<br />
</font>関西出身者だからということで、無理してお笑い好きを気取るのだ。不自然この上ないし、ヤマハに無理してやらされているように思えてならない。<br />
<br />
で、好きな笑いは「吉本新喜劇」。<br />
この時点で凄まじくストレスがたまる。関西人は吉本新喜劇好きのような発言をし、どんどん関西、ひいては大阪というものに対して偏見を生ませんとする。<br />
<br />
<br />
「吉本新喜劇」って、あーた、そんなもの好きなのはお笑い好きとは言わねーよ。<br />
あれって思考回路のとまった爺婆のためのおはやしみたいなものだ。<br />
別に「だから駄目」と言うつもりはないが、いかにも新喜劇をわかっているようなフリをせられても戸惑うばかり。<br />
<br />
<br />
吉本新喜劇は関西よりも東京人のほうに好かれているように思える。<br />
東京人が来阪の折、まず注目する笑いは吉本新喜劇だからだ。<br />
本場の関西はむしろ吉本新喜劇に対する注目度は低い。筆者だけやもしれないが。<br />
<br />
<br />
本当にお笑い好きならば、バカさんの１パターンの笑い話を何とかせよというのだ。<br />
その笑い話をいつまでも笑えるのは、お笑いが好きではない証拠。単に１パターンを見抜けない、1パターンを1パターンと思わない、思考回路の停止している証である。<br />
<br />
エレ糞プレイヤーは、概してMC大好きの感がある。<br />
正確に言えば、MCをやらねばならないという風潮がはびこっているように思える。<br />
<br />
本来ならば、MCなしでゆきたいのに、「勉強会の雰囲気をなくさねば！」という意思のもと、MCをひたすらしたがるコンサートになってしまうのだ。<br />
<br />
関西人だからということで、無理してお笑い好きのキャラクターを演じ、ヤマハ関係者にしか通用しない異様な空気をつくりあげてゆく。<br />
<br />
そうした体質を生ませた張本人はバカさんあたりからであるのは容易に想像が付く。<br />
<br />
<br />
関西人は、お笑い好きか。<br />
筆者は、むしろ関西人はお笑いは嫌いであるように思う。<br />
お笑いが好きならば、上方落語の衰退はどうしたことかとなってしまう。<br />
<br />
このブスは、「関西人が二人喋ると漫才になる」と言うのだが、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">漫才にはなりません！</span><br />
<br />
<br />
</font>どうしたらこのような発想が出てくるのか仕方ない。<br />
関西人が二人喋っても単なる立ち話。漫才ではないし、実際、漫才のテンポは出せていない。<br />
西川きよしと太平サブローの二人が、そのような企画をし、関西人二人に漫才をさせていたが、まったくかみ合っていなかった。時折太平サブローが突っ込みを入れるのだが、益々面白みがなくなっていた。もしも本当に関西人二人が喋って漫才になるのならば、漫才師の存在は必要あるまい。<br />
つまらない偏見を作成しないでいただきたい。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
もう一つ気に入らないのは、<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">ドリフ好きを気取るところ。</span><br />
<br />
</font>「昔から『全員集合』を欠かさず見ていました」というのだが、<a title="こちら" href="http://www.sankei.co.jp/enak/2005/feb/kiji/17takada.html" target="_blank">こちら</a>のプロフィールには、「昭和56年生まれ」とある。<br />
<br />
どうやって全員集合を見ていたというのだろうか。貴様は「天才バカボン」のハジメちゃんだったというのか。なんと嫌味なこと。<br />
<br />
<br />
実際、全員集合のことなどほとんど記憶にないはずなのに、全員集合の思い出話を語られてもしらけるのみ。<br />
「ピンクパンサー」のテーマを出しては、「ドリフを思い浮かべる」というのだが、何ともいえないむずがゆさが走って仕方ない。素直に楽しめない。<br />
<br />
<br />
<br />
このブス、年齢詐称をしている。<br />
3歳下に公言しているのだ。あふぉかというのである。<br />
その証拠に、その記事のプロフィールには、かく記されている。曰く、<br />
「平成11年大学在学中に『インターナショナルエレクトーンコンクールポピュラー部門』第２位を受賞。翌年プレイヤーとしてデビュー」とあるのだが、<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">昭和56年生まれがどうやって平成11年当時に大学へ在学するっていうんだよ？！</span><br />
<br />
</font>貴様は特待生か。「少女に何が起こったか」（TBS)か。<br />
「薄汚ねぇシンデレラ」か。<font size="1"><span style="font-size: x-small"><s>&larr;前半部分は合っていますがねぇ・・・</s></span><br />
<br />
<br />
<br />
</font>で、その記事であるが、<br />
「エレクトーンは実は出力が2系統しかない。せっかく多彩な音が出るのに録音機材に向かってはふたつの&ldquo;出口&rdquo;しかないということだ。それで録音しては音に広がりがなくなってしまう。エレクトーン演奏の録音物が少ないのは、そんなことも理由になっている。 <br />
<br />
そこで考えたのは、使う音色の数だけバラバラに録音する方法だ。単純にいうなら1曲の中で10の音色を使う場合は、1曲を作り上げるのに10回録音を重ねる。同時に演奏できるのがエレクトーンのすごさなのだから、なんだか倒錯した話だが、ともかくエレクトーンにこだわった結果、ほかに選択肢はなかった。」<br />
<br />
<br />
<font size="5"><span style="font-size: x-large">ここまでするくらいならば普通に他楽器を用いてレコーディングに励む方が楽だし、正当だと思うんですがねぇ。</span><br />
<br />
<br />
</font>「エレクトーンにこだわる」って、今の捨て字亜はAWM音源が主流で、ほとんど物まね状態の音で、エレクトーン独自の音色ではなく、そこまでする意義が感ぜられない。<br />
<br />
<br />
というわけで、安易に芸能人を気取るのはやめてくださいとお願いしたところで、<br />
首をカット、カット。</div>
<!-- 記事フッター部分 -->]]>
    </description>
    <category>電子風琴白書</category>
    <link>https://bokumetu43.blog.shinobi.jp/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A2%A8%E7%90%B4%E7%99%BD%E6%9B%B8/%E3%80%8C%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%82%A9%E6%9B%B8%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%BE%85%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81%E3%80%8D</link>
    <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 14:42:41 GMT</pubDate>
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  </item>

    </channel>
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